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Channel: デ某の「ひょっこりポンポン山」
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閑話休題 ( ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花 )

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                                                美山(京都府)冬景色

 アメリカ人外交官が芸者さんに恋をして・・・
 太平洋戦争の始まる少し前、米国大使館の若い外交官が新橋の明るく美しい芸者さんに恋をしました。外交官は、何度も料亭に足を運び・・・やがて当時の常識では「高い壁」を乗り越え二人は結ばれました。NHK朝ドラ「マッサン」とは逆に、外国人の夫と日本人妻の・・・幸せな日々が始まりました。

 日米開戦で米国へ移るも・・・
 1941年12月8日、日本の真珠湾侵攻とともに二人の母国はお互いに敵国となりました。当然、大使館員には母国への帰国命令が下ります。「マッサン」の妻エリーさんは何とか日本にとどまれましたが、米国外交官の妻となった彼女は、夫と共に米国に向かうほかありませんでした。

 夫の事故死 母子で日本人収容所へ
 米国で新しい生活が始まり、子供も生まれました。が、不運にも夫は交通事故で不帰の人になりました。英語も喋れない敵国日本人の彼女は収容所へ。同じ敵国でもドイツ人やイタリア人は収容されませんでしたから、言わば人種差別 ※でした。 ※ 後に米国政府として正式に「差別」と認定、「謝罪」しました。


                                                【All paintings by QP】
 終戦・・・困窮・・・母親の病死・・・孤児院へ 
 戦争の終結とともに母子は収容所から解放されました。しかし生活は困窮をきわめ、彼女は過酷な労働と貧困から結核に罹りました。入院して間もなく彼女は10歳の息子を遺して亡くなり、息子は孤児院に引き取られました。しかし安らげる居場所ではなかったのか、十代半ばで孤児院を出ました。

 禅体験を経て日本へ 
 青年期を迎えた彼は、ある日、街で「禅」道場の看板を目にし、魅入られるように道場に入りました。短い体験でしたが、彼には生まれて初めて「心からのやすらぎ」を覚える体験でした。自分が求めていたものに出会った喜びにつつまれた彼は、やがて心の命ずるまま日本に旅立ちました。

 永平寺の禅僧に・・・
 「留学」ではありません。禅僧となるために・・・まっすぐ永平寺に向かいました。彼の異色の生い立ちと経歴、そして混血とは言え白人の色濃い容貌にマスコミの取材が殺到します。いわゆる「取材」は断っていた彼ですが、或る日、名の通った記者からいきなり「禅問答」を挑まれました。

 記者『人間が生きている、とは如何なることか?』。暫く瞑目した後、彼は『ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花』と・・・。運命に翻弄された彼が心にいつも見ていた光景だったのかもしれません。
 以上・・・日記をめくり6年前の2月、或る討論会で聴いた話よりここに記しました。

 河島英五(生きてりゃいいさ)


 【お詫び】PC画がなぜかUP出来ず、2/28 01:10 迄に訪ねられた方には申し訳ありませんでした

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