浜から遠く1~2kmの海を見ても特に恐くありません。しかし沖へ100mほど泳ぎ浜を見渡すとその遠さに!一瞬ぞっとします。小学生の頃、夏になると郷里の遠浅の浜から7~8人で丸太につかまり100~200m沖に出ました。一種の肝試しで、5~6年生は強がりつつ内心はびくびくで、3~4年生には泣き出す子も...。それだけに数百~数千kmの海原に出る恐怖は計り知れません。
NHK-BSP「池内博之の漂流アドベンチャー」(1)(2) を視ました(2016~17年に収録のドキュメント)。
(1)は「鳥島」まで750km、(2)は「バタン島」まで3500kmの漂流ドキュメント。鳥島へは 江戸時代後期(1785年)のコメ運搬船の遭難漂流記、バタン島へは同初期(1668年)尾張の材木船の漂流記に沿って、ほぼ同サイズのヨットに乗ってその航跡を辿る漂流アドベンチャーでした。
バタン島まで3500kmの大漂流は「漂流アドベンチャー(2)」にて改めて記します。
俳優 池内博之さんが乗船したヨットは全長14mの「風のバラ(Rose dei Venti)」号、乗組員は池内さんを含めて6人。2016.5.1に土佐清水港から出航しました。その230年前に土佐から出て難破、黒潮にのって750km流され鳥島に漂着した船頭長平ら4人の航跡に沿って鳥島へ。
江戸時代は「鎖国」の時代。密出国をさせないよう帆柱は一本に限り、転覆を防ぐ竜骨(キール)は装着しないよう幕府が定めていました。そのため江戸時代には千件を超す海難事故があったと言われており、長平らのコメ運搬船も嵐で転覆を避けるため帆柱を切り漂流したものです。
現代のヨットでは5日間、長平らの帆船は2週間余で鳥島に漂着。黒潮の流速にも驚きます。
長平らの命を繋いだのはアホウドリでした。ヒトを怖れないがゆえにアホウドリと命名されていますが、大群がいて簡単に捕獲できたためその肉を卵を、あるいは鳥の胃袋から取り出した魚介を食し、卵の殻に雨水を貯めて飲料水とし、羽毛で服・布団などを作り、生き延びました。
長平の漂流記には "怪鳥" とさるアホウドリを捕え肉を『海の汐水を以て洗ひ候て喰ひ候えば至極味わひ能く朝夕の喰い物といたし候』と。月の満ち欠けで年月日を数え、鳥肉・魚介を天日干しで保存食とし、あらゆる事象を観察記録。アホウドリに渡り鳥の兆候が現れると捕獲し得る限り捕獲し鳥が翌年再び来島するまでの食を確保。流木を保存加工し造船に着手、潮流を観察し出航の頃合を図る ... あらゆる知識・経験・観察を生存に生かしたことが伺われます。
アホウドリの なんとまあ可愛い表情 ... アドケナイドリと呼びたい。
池内さんが島に上陸すると無人島に人影...。海洋鳥類学者の長谷川博さんです。1970年代から40年以上にわたり毎年!鳥島に長期滞在され(この日も滞在45日目)、アホウドリの保護育成と生態の調査研究。住居は噴火の際の避難小屋の一室、研究者魂に心から敬意を表します。
長谷川さんの島の住居。国の特別天然記念物の調査研究に国費は僅か… 多くは自腹の由。
明治期以降、アホウドリ500万羽以上が捕獲され羽毛が西欧に売られました。その捕獲のために雇われた人が住んでいましたが、鳥の絶滅とともに無人島に戻りました。戦後、気象観測のための職員家族が住みましたが、噴火・地震等により1960年代半ばに再び無人島となりました。
アホウドリについて長谷川さんは敬愛をこめオキノダユウ(沖太夫)と呼びます。
卵をもつ長谷川さんの帽子の横に "Eddie Bauer" ... 私のTシャツもすべて"Eddie Bauer" (笑)
長平ら4人のうち3人は漂着後2年の間に亡くなったものの長平は12年余を生き延びました。その間、2隻の難破船が漂着、14人となった漂流民が流木などを利用して船を建造、無事!日本に帰着しました。なお江戸期には百人以上が鳥島に漂着、うち80人余が帰着しています。
アホウドリ(オキノダユウ)は長谷川さんが調査を始めた当時の200羽から現在4000羽以上に...。
※ 長平らの漂流記は 吉村昭 著「漂流」(新潮社) に詳述されています。
【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
人生の棚卸し(2) https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/22b3ffae8d0b390afee667c0e9ed92ed
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
名残の季節 https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ce82e1c580f64c8ab8d43e2c674a481d
NHK-BSP「池内博之の漂流アドベンチャー」(1)(2) を視ました(2016~17年に収録のドキュメント)。
(1)は「鳥島」まで750km、(2)は「バタン島」まで3500kmの漂流ドキュメント。鳥島へは 江戸時代後期(1785年)のコメ運搬船の遭難漂流記、バタン島へは同初期(1668年)尾張の材木船の漂流記に沿って、ほぼ同サイズのヨットに乗ってその航跡を辿る漂流アドベンチャーでした。
バタン島まで3500kmの大漂流は「漂流アドベンチャー(2)」にて改めて記します。
俳優 池内博之さんが乗船したヨットは全長14mの「風のバラ(Rose dei Venti)」号、乗組員は池内さんを含めて6人。2016.5.1に土佐清水港から出航しました。その230年前に土佐から出て難破、黒潮にのって750km流され鳥島に漂着した船頭長平ら4人の航跡に沿って鳥島へ。
江戸時代は「鎖国」の時代。密出国をさせないよう帆柱は一本に限り、転覆を防ぐ竜骨(キール)は装着しないよう幕府が定めていました。そのため江戸時代には千件を超す海難事故があったと言われており、長平らのコメ運搬船も嵐で転覆を避けるため帆柱を切り漂流したものです。
現代のヨットでは5日間、長平らの帆船は2週間余で鳥島に漂着。黒潮の流速にも驚きます。
長平らの命を繋いだのはアホウドリでした。ヒトを怖れないがゆえにアホウドリと命名されていますが、大群がいて簡単に捕獲できたためその肉を卵を、あるいは鳥の胃袋から取り出した魚介を食し、卵の殻に雨水を貯めて飲料水とし、羽毛で服・布団などを作り、生き延びました。
長平の漂流記には "怪鳥" とさるアホウドリを捕え肉を『海の汐水を以て洗ひ候て喰ひ候えば至極味わひ能く朝夕の喰い物といたし候』と。月の満ち欠けで年月日を数え、鳥肉・魚介を天日干しで保存食とし、あらゆる事象を観察記録。アホウドリに渡り鳥の兆候が現れると捕獲し得る限り捕獲し鳥が翌年再び来島するまでの食を確保。流木を保存加工し造船に着手、潮流を観察し出航の頃合を図る ... あらゆる知識・経験・観察を生存に生かしたことが伺われます。
アホウドリの なんとまあ可愛い表情 ... アドケナイドリと呼びたい。
池内さんが島に上陸すると無人島に人影...。海洋鳥類学者の長谷川博さんです。1970年代から40年以上にわたり毎年!鳥島に長期滞在され(この日も滞在45日目)、アホウドリの保護育成と生態の調査研究。住居は噴火の際の避難小屋の一室、研究者魂に心から敬意を表します。
長谷川さんの島の住居。国の特別天然記念物の調査研究に国費は僅か… 多くは自腹の由。
明治期以降、アホウドリ500万羽以上が捕獲され羽毛が西欧に売られました。その捕獲のために雇われた人が住んでいましたが、鳥の絶滅とともに無人島に戻りました。戦後、気象観測のための職員家族が住みましたが、噴火・地震等により1960年代半ばに再び無人島となりました。
アホウドリについて長谷川さんは敬愛をこめオキノダユウ(沖太夫)と呼びます。
卵をもつ長谷川さんの帽子の横に "Eddie Bauer" ... 私のTシャツもすべて"Eddie Bauer" (笑)
長平ら4人のうち3人は漂着後2年の間に亡くなったものの長平は12年余を生き延びました。その間、2隻の難破船が漂着、14人となった漂流民が流木などを利用して船を建造、無事!日本に帰着しました。なお江戸期には百人以上が鳥島に漂着、うち80人余が帰着しています。
アホウドリ(オキノダユウ)は長谷川さんが調査を始めた当時の200羽から現在4000羽以上に...。
※ 長平らの漂流記は 吉村昭 著「漂流」(新潮社) に詳述されています。
【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
人生の棚卸し(2) https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/22b3ffae8d0b390afee667c0e9ed92ed
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
名残の季節 https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ce82e1c580f64c8ab8d43e2c674a481d