先夜のBS-TBSは「高倉健の伝説的ドキュメンタリー」として、檀一雄の足跡をルポした『むかし男ありけり』を放送しました。1984年に制作され、何度か再放映された有名な作品です。当時まだ40代の健さんの颯爽とした姿とともに、檀一雄の魅力あふれるドキュメントでした。
壇一雄と 「リツ子その愛 その死」
檀一雄の 「リツ子その愛」 「リツ子その死」 は学生時代に読みました。心がちぎれそうになり、しばらく虚脱状態になりました。檀一雄の作品は私小説の典型ですから、「最後の無頼派」らしい破天荒な生き様に反感を抱く女性は少なくありません。が、それでも惹かれてやまない人物です。
リツ子と太郎 その子とふみ
「リツ子・・・」に登場する太郎は檀一雄と壇律子の子、そして太郎の妹は女優の檀ふみさんで、リツ子が亡くなった後、檀ヨソ子との間に生まれました。太郎は「父はもう結婚はしないと言っていたのに、見合いするとすっかり気に入って、すぐに、する!と」と、笑いながら語っていました。
リツ子 (壇律子) ヨソ子 と 壇一雄
高倉健さん 生涯に唯一度の仕事
ドキュメンタリーの案内役は高倉健さんにとって生涯唯一度!の仕事でした。その対象が深い交流のあった檀一雄、番組はそのポルトガル時代の足跡を辿ります。制作は健さんの郷里福岡のRKB毎日、ディレクターは辣腕かつ情に厚い木村栄文・・・。健さん、意気に感じたのでしょう。
サンタクルス島の1年4か月
大航海時代(15~17世紀)、ポルトガルは世界を征しましたが、今は隣国スペインとともに「欧州の辺境」になりました。檀一雄はその何処に惹かれたのか・・・ポルトガルのサンタクルス島で1年4月逗留しました。健さんらが島を訪れた時、檀一雄が島を去ってすでに12年がたっていました。
サンタクルスの壇一雄記念碑 サンタクルス島の渚にて
『落日を拾いに行かむ海の果』・・・壇一雄は「落日」に殊の外こころを奪われたようです。『美しいのは落日である。落日に続く夕焼けだろう。落日を追って断崖の上を走って・・・真っ赤に染まった太陽に追いすがると、やがて燗熟した火心がブルブル震えながら波の果てに沈んでゆく』(「火宅の人」より)
もう一人の壇一雄
島の人々は・・・身のまわりを世話した女性も酒場の店主も客も市場の人々もみな檀一雄を敬意をこめて「先生」と呼び「わが友」と熱く語ります。檀一雄と同じように島に流れついたチェコの女性も高名な作家も彼への親しみを隠しません。小説家と異なるもう一人の檀一雄がそこにいます。
壇一雄が逗留したサンタクルスの家 家の管理人オデンツ
モガリ笛 いく夜もがらせ 花ニ逢はん
「モガリ笛」とは、檀一雄の病んだ「喉(気管)」そのものでありましょう。「花」には・・・檀一雄が見た小さな光を見る思いがいたします。心が地を這う日々、私は檀一雄のようには到底なれませんが、私も人生の数か月をサンタクルス島で・・・と、思うだけ!ですが、そう思わせる島であり人々でした。
「火宅の人」はサンタクルス島で書かれた
高倉健さんの一言で・・・
壇ふみさんは、檀一雄が仕組んで女優にしたようで、厭がる彼女を半ば騙して撮影所につれだし主演の高倉健さんと顔合わせを・・・。「高倉です。よろしく」と挨拶する健さんにふみさんはたちまち魅かれ、高倉健主演「昭和残侠伝“破れ傘”」が檀ふみさんの最初の映画出演作品になりました。
壇ふみさんにとっての壇一雄
番組には18歳、NHKの「連想ゲーム」に出た頃の檀ふみさんが登場します。ちょうどその時期が檀一雄のサンタクルス島逗留期と重なります。そして番組が最初に放映された1984年、ふみさんは父 壇一雄について『私にはいつもまっすぐな人でした。人間として父親として最高の人でした』と・・・。
結婚しない理由・・・?
ふみさんが思わず洩らした言葉 『母(ヨソ子)を見ていたら結婚したくなくなる、なんて母には言えませんよねぇ』。それは兎も角、檀ふみさんはいつも気になる女優さんでありエッセイストであり、写真を見ていると、そこには・・・変わってしまったふみさんといつまでも変わらないふみさんがいます。
18歳の壇ふみさん 30歳の・・・ 現在の・・・
ドキュメンタリーをディテールにわたってなぞりたいところですが、いずれまた再放映されましょう。その機会がありましたらぜひご覧いただきたいと存じます。
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