すでにリタイアした身に十連休は他人事・・・とは言え 僅か一日ながら滅多に休めない愚息一家が訪ねてきましたから、それなりに恩恵に与ったかな。怪我したり 何かとあった春、まだ少し寒さが残りますけど 日は和らぎ長くなり・・・ひねもすのたりのたりかな。
庭のモッコウパラ・・・あっ!という間にもう終わりかけです。
のたりのたりしつつ何気に視たTV・・・一昨日放送されたBS1スペシャル「戦争孤児~埋もれてきた”戦後史”を追う」。敗戦時、食べるものもろくにない厳しい時代にまるで野良犬のように放り出された孤児の数は12万人超・・・その歩みと証言の記録でした。
小倉勇さん(86歳)。空襲で両親を亡くし親戚に預けられます。『それまで優しく親しく接してくれた親戚が急に自分を厄介者にする。食べものが少ないのは我慢できるが、なんでオマエの面倒をみなきゃならんのか!と言われることほど辛いことはなかった』。
小倉さんが墓参りする光景に胸が塞がりました。は小倉さんの家のお墓です。右の大きな墓はたぶん親戚のお墓でしょう。小倉さんのご両親は前の地べたに置かれた大小の石に下に眠っています。何度も何度も水をかけながら『あついやろ、あついやろう』と。
金子トミさん(88歳)。両親を亡くし弟妹と三人で「大きな駅に行けばなんとかなる」と上野駅へ。一日に一本のさつま芋を、それでも他の子に隠れるように三人で分けて食べるのがやっと!の日々。死んで行く子に申し訳なくて・・・と当時を思い涙を拭いました。
上野の駅で生きてきたことは、おつれあいが亡くなられるまで生涯一言も話したことはなかった、話せなかったのは、『あんな怖いところにいた女を俺はもらったのか、と夫に思われるのが辛くて』。金子さん、今ようやく当時のことを語れるようになりました。
敗戦後の上野駅構内の光景。
内藤修一さん(85歳)。20年6月5日、神戸大空襲で3千人余が亡くなりました。当時12歳だった内藤さんは、父親を亡くし母親と三宮駅に向かいました。食べるものがなく母親が残飯を漁り食べられそうなものだけ内藤さんに与え、自らは餓死された由。
『お母ちゃん!と何度も呼んだけど、だんだん手が冷たくなりました』。その後、施設に預けられそこから学校へ。級友には「戦災乞食」といじめられ、黒板に「ウジ虫」と。三宮駅には『亡くなった母を思い出すのが辛くて一度も行ったことがありません』。
当時の新聞でさえ「末恐しい浮浪児」などと報ずるレベル、一般の国民の認識が窺われます。
少年院ではありません。脱走防止に鉄格子のある養育施設もありました。
八巻春夫さん(85歳)。戦争中に父親が戦死、英霊の子として称えられました。同じ境遇の子らが靖国神社に集められ「社頭の対面」に臨み、代表の子が謝辞を読み上げます。
『天皇陛下の御為に一身を捧げたことを父は深く満足に思っていることでしょう』。
昭和16年内閣情報局「写真週報」に載った社頭の対面に臨む八巻さん。
山田清一郎さん(83歳)。駅舎から棒で叩きだされる冷たい仕打ちにめげることなく戦後を懸命に生き、高校教師となり定年退職しました。当時を語る小さな講演会で、母親がよく歌っていた子守唄をハモニカで演奏した後、「母への手紙」を朗読されました。
「母への手紙」 山田清一郎
お母さん。あのとき十歳だったあなたの子どもは 今、
お母さんが亡くなった年をはるかにこえて生きています。
戦災孤児となった私は、同じ浮浪児仲間と、戦後の荒れ果てた町で、
周囲の人から棒をもって野良犬のように追われ、ばい菌の塊と呼ばれ、水をかけられ
ただ生きるためだけに生きてきました。
なんども死を考えながら それでもとことん生きてやるという思いにさせたのは
あなたの無念な思いに対して、
お母さん、ここまで生きてきたよと、自分が生きた証しを残したかったからです。
ありがとう お母さん。
あなたの子どもは ここまで生きてきましたよ
にほんブログ村
【 お知らせ 】
拙ブログ「ひとり朽ちる・・・がんに生きる」でご紹介した なかにし礼(80歳)さん。
https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/756231fa8d9fcca0c0ad3bdde87fdde0
NHK Eテレ 5月10日(金) 午後8時~
あしたも晴れ!人生レシピ「死が”命”を輝かす」でがんとの闘病を語られます。
【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
庭のモッコウパラ・・・あっ!という間にもう終わりかけです。
のたりのたりしつつ何気に視たTV・・・一昨日放送されたBS1スペシャル「戦争孤児~埋もれてきた”戦後史”を追う」。敗戦時、食べるものもろくにない厳しい時代にまるで野良犬のように放り出された孤児の数は12万人超・・・その歩みと証言の記録でした。
小倉勇さん(86歳)。空襲で両親を亡くし親戚に預けられます。『それまで優しく親しく接してくれた親戚が急に自分を厄介者にする。食べものが少ないのは我慢できるが、なんでオマエの面倒をみなきゃならんのか!と言われることほど辛いことはなかった』。
小倉さんが墓参りする光景に胸が塞がりました。は小倉さんの家のお墓です。右の大きな墓はたぶん親戚のお墓でしょう。小倉さんのご両親は前の地べたに置かれた大小の石に下に眠っています。何度も何度も水をかけながら『あついやろ、あついやろう』と。
金子トミさん(88歳)。両親を亡くし弟妹と三人で「大きな駅に行けばなんとかなる」と上野駅へ。一日に一本のさつま芋を、それでも他の子に隠れるように三人で分けて食べるのがやっと!の日々。死んで行く子に申し訳なくて・・・と当時を思い涙を拭いました。
上野の駅で生きてきたことは、おつれあいが亡くなられるまで生涯一言も話したことはなかった、話せなかったのは、『あんな怖いところにいた女を俺はもらったのか、と夫に思われるのが辛くて』。金子さん、今ようやく当時のことを語れるようになりました。
敗戦後の上野駅構内の光景。
内藤修一さん(85歳)。20年6月5日、神戸大空襲で3千人余が亡くなりました。当時12歳だった内藤さんは、父親を亡くし母親と三宮駅に向かいました。食べるものがなく母親が残飯を漁り食べられそうなものだけ内藤さんに与え、自らは餓死された由。
『お母ちゃん!と何度も呼んだけど、だんだん手が冷たくなりました』。その後、施設に預けられそこから学校へ。級友には「戦災乞食」といじめられ、黒板に「ウジ虫」と。三宮駅には『亡くなった母を思い出すのが辛くて一度も行ったことがありません』。
当時の新聞でさえ「末恐しい浮浪児」などと報ずるレベル、一般の国民の認識が窺われます。
少年院ではありません。脱走防止に鉄格子のある養育施設もありました。
八巻春夫さん(85歳)。戦争中に父親が戦死、英霊の子として称えられました。同じ境遇の子らが靖国神社に集められ「社頭の対面」に臨み、代表の子が謝辞を読み上げます。
『天皇陛下の御為に一身を捧げたことを父は深く満足に思っていることでしょう』。
昭和16年内閣情報局「写真週報」に載った社頭の対面に臨む八巻さん。
山田清一郎さん(83歳)。駅舎から棒で叩きだされる冷たい仕打ちにめげることなく戦後を懸命に生き、高校教師となり定年退職しました。当時を語る小さな講演会で、母親がよく歌っていた子守唄をハモニカで演奏した後、「母への手紙」を朗読されました。
「母への手紙」 山田清一郎
お母さん。あのとき十歳だったあなたの子どもは 今、
お母さんが亡くなった年をはるかにこえて生きています。
戦災孤児となった私は、同じ浮浪児仲間と、戦後の荒れ果てた町で、
周囲の人から棒をもって野良犬のように追われ、ばい菌の塊と呼ばれ、水をかけられ
ただ生きるためだけに生きてきました。
なんども死を考えながら それでもとことん生きてやるという思いにさせたのは
あなたの無念な思いに対して、
お母さん、ここまで生きてきたよと、自分が生きた証しを残したかったからです。
ありがとう お母さん。
あなたの子どもは ここまで生きてきましたよ
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拙ブログ「ひとり朽ちる・・・がんに生きる」でご紹介した なかにし礼(80歳)さん。
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吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c