【米子道:米子ICより眺む大山(9/23)】
主人が留守になると・・・
23日朝、主人は境港(鳥取県)へ二泊三日の短い介護帰省に出発。甘い主人と異なり何かと躾に厳しい細君だけになると、な〜んとなく緊張する。そのくせ思い出したように「シマぁ〜」と猫撫で声、否、ヒト撫で声で寄ってきてはぎゅっと抱きすくめる。吾輩としては・・・当惑するばかりである。
その短い帰省から、昨25日、主人が戻った。トコトコトコっと主人に走り寄ったのは、主人が懐かしいからではない。細君に辟易していただけなのだが、主人は「おぉシマ!やっぱりオレが一番やねんなぁ」と悦に入っていた。なんともまぁお安い主人だが、上等の鰹節を貰えば文句はない。
境港 妖怪ロードで超ミニオフ会
帰省中、旅行記のサイトで親しくなったhidamariさん(ハンドルネーム)と『超ミニオフ会をした』と、歓んでいた。なんでもダイヤモンド・プリンセス号なる豪華客船にてクルーズ中の前記hidamariさんが、ちょうど主人の帰省中に境港に寄港するという希少チャンスに恵まれたオフ会であった由。
【JR境駅の水木しげる像】
乗客2400人(日本人400人)が小さな境港に押し寄せたのだから、「妖怪ロード」には外人さんがいっぱい!であった由。出港まで僅か1時間余、街角に佇んでのオフ会ながら、愉しいお話がいっぱい出来たと主人が大満足であったのは、心重い介護帰省の貴重な和みとなったゆえか・・・。
汚水枡の妖怪たち 【左から】 鬼太郎、ぬりかべ、一反木綿、ネコ娘、ネズミ男、こなき爺い
ラス前の「花子とアン」
主人、今朝はのんびり朝ドラ「花子とアン」を視ている。いよいよ明日の最終回を控えたラス前、本のタイトルが「窓辺による少女」から「赤毛のアン」に変わる場面であった。いみじくも今朝の朝日新聞「天声人語」に、本のタイトルが決まる経緯についての或るエピソードが書かれていた。
『神は天に在り、世はすべてよし・・・アンはそっとつぶやいた』を以て ”完 ”の「赤毛のアン」
「風」から「氷点」に 「猫伝」から「吾輩は猫である」に
半世紀も昔のことになるが、朝日新聞が当時の宝くじ一等と同じ賞金1千万円で募集した懸賞小説の入選作「氷点」のタイトルは、当初は「風」であったと・・・。夫君に「氷点」を提案された三浦綾子さん、作品にふさわしい素晴らしいタイトルだと歓び「風」から「氷点」に・・・なるほどなぁ!と思った。
夏目漱石「吾輩は猫である」は、当初の漱石案は「猫伝」。が、俳人高浜虚子の助言で「吾輩は・・・」に改題された。もし「猫伝」であれば吾輩のこのブログ名もなかったのだ。また「三四郎」も、漱石の四つの案「青年」「東西」「平々地」「三四郎」から、編集部が「三四郎」を選んだそうである。
「カサがない」は井上陽水・・・今回は「落ち!がない」
なんやかや書いてるが、落ちは?と? 関西の風土にあって「落ち!」は必須不可欠と承知してはいるが、親のお金、親の命と同様、落ち!もまたいつも!いつまでもある!とは限らない。左様ご理解を賜わり、皆々様、今回のところはヒラにご容赦・・・ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃぁ。
【台風が近づく24日、弓ヶ浜(日本海)より大山を眺む】
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