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Channel: デ某の「ひょっこりポンポン山」
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吾輩も猫である 90 ( こんなところに日本人? )

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                                            リガ(ラトビア)の朝焼け

 世界の猫?
 吾輩、本来なら「吾輩は猫である」とごく当たり前に名乗りたいのだが、明治の文豪 夏目某の「名前のない有名な」猫がゐるために、口惜しくも「吾輩も・・・」と言わざるを得ない。まぁ、それはそれでいいのだが、今回は夏目某の猫には成し得なかった「世界の猫」として語ってみたい。

 バルト三国の日本人
 昨夜、テレ朝系の「こんなところに日本人」を視た。 「バルト三国」 の日本人を訪ねる1時間半の特番、いつもは主人と細君が一緒にTVを視ることはないが、一昨年の春バルト三国を訪れている所為か珍しく二人揃って視ていた。で、吾輩もお愛想のお付き合い一緒に視た・・・次第だ。

 
      湖の国リトアニアを上空から               リトアニアの首都ビリニュス
   
 前記TVをご覧になった方は予習?済だろうが、バルト三国とは、フィンランドに近い方(北)からバルト海に沿って南にエストニア、ラトビア、リトアニアの三国を指す。旧ソ連支配から一緒に(1990年~)独立を果たしたが、民族も言語も宗教も各々まるで異なる。

  

 旧ソ連からの独立をめざす歴史的な闘いはビリニュスの大聖堂前の広場(上写真左)から始まり、ラトビア・エストニアへと200万人の人間が手をつなぐ「人間の鎖」となった。写真中はその起点となった所のタイル(STEBUKLAS)、そして写真右はこの地に斃れたすべての人々が眠る墓地・・・。

  
 写真上左は、6千人のユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝さんが執務した大戦中のリトアニアの首都カウナスの旧日本領事館。数万の十字架が林立するシャウレイの「十字架の丘」(写真中)。中世の美しいお城がそのまま残る「トラカイ城」(写真右)。 

  

 写真上左は、ラトビア民族野外博物館のモニュメント。「自分達の過去がわからない者は未来もわからない」とラトビア語で刻されている。写真中はヴェルサイユを模したルンダーレ宮殿、「ルンルンなのはだあれ?」と寒い洒落も・・・。写真右は首都リガの大聖堂の絢爛たるステンドグラス。

 

 エストニアの首都タリン旧市街のラエコヤ広場(上写真左)は、いつもお祭りで賑わう。主人らが訪ねたのは5月、白夜で夜遅くまで日が残る中、広場を埋め尽くした人々が野外コンサートを愉しんでいた由。写真右は5年毎に開催される「歌の原」の会場、15万人が集まる世界的な合唱祭である。 

  

 で、何が「世界の猫」なの?と? まぁ夏目某は世界についてまるで語らなかったが、吾輩は若干の現代史とともに世界を語ってみたってワケ・・・。なお上写真左はビルのてっぺんから下界を睥睨するリガの猫、写真中はタリンの街を放浪?する猫、最後は日本の誇り高き猫。ま、吾輩と言うことで・・・。

 なお主人の「バルト三国の旅」は下記旅行記サイトにUP。
   リトアニア編・・・http://4travel.jp/travelogue/10781829
   ラトビア編・・・・・http://4travel.jp/travelogue/10782371
   エストニア編・・・http://4travel.jp/travelogue/10782780

 
【おことわり①】22日~主人は例月の介護帰省、吾輩は妻君とともに留守番を命じられたもののPCに蓋!をされ・・・暫くPCを使えない!(泣) で、まぁ・・・そ、そういうこと!でござります。ご賢察を・・・。

【おことわり②】と言うことで、TVの「こんなところに日本人」について詳しく?書きたかったのだが、PCに蓋!を迫られ、これ以上書けなくなってしまった。そ、そういうことで、ご、ご賢察を・・・(くどい!)

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閑話休題 ( ハルカス & 半泥子 & 帰省 )

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                あべのハルカス16F美術館前の庭園 まるでガレリア(画廊)のよう・・・

 二つの思いが一度に叶う
 例月の介護帰省(後記)から戻ると暫く何もしたくなくなる症候群・・・。そんな気の脱けた昨28日、「川喜田半泥子物語~その芸術的生涯~(あべのハルカス美術館)」に出かけました。NHK「日曜美術館」で半泥子の「人と作品」に触れて以来、今回の作品展には「必ず!」と思い、日本一の超高層ビルあべのハルカスにも「ぜひ!」と思っていたところ、陽気に誘われ二つの思いが一度に叶いました。

 偉大なるアマチュア
 川喜田半泥子(カワキタ・ハンデイシ1878~1963年)は、「プロフェショナル」を「職業」と解するならプロの陶芸家ではありません。明治11年(1878年)、半泥子誕生の年に創業された第百五銀行(三重県津市に本店を置く地銀)の頭取を務めた銀行マンであり、また超!多作(書画を含め2~3万点)ながら作品を「一点として売らなかった」ところもプロの陶芸家とは言えません。



 流儀?に偏らないのびやかさ・・・
 半泥子の作品は下記(※)のとおり実に多彩にして豊富です。陶芸は地域・窯元毎に伊万里焼・備前焼・美濃焼・樂焼など様々で、また美濃焼には志野・織部、樂焼には長次郎・光悦などが生まれ各々一つの流れが形成されています。半泥子はそうした流れには偏りません。良いと思うものを大胆に取り入れるところが(名門の豪商育ちの余裕でしょうか?)如何にも半泥子らしさではあります。

(※) 半泥子陶芸作品・・・クリックして下さい ⇒ https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B7%9D%E5%96%9C%E7%94%B0%E5%8D%8A%E6%B3%A5%E5%AD%90+%E4%BD%9C%E5%93%81&biw=1103&bih=570&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=6MgXVe7pM-W3mAXzgoDQBg&sqi=2&ved=0CBwQsAQ

 半泥子を知る見応えある作品展
 概ね150点が展示され、うち70点余は半泥子が買い求めたマティスの絵など半泥子ゆかりの作品群でした。そこが、半泥子の「人と作品と歴史」を構成し「川喜田半泥子物語」と命名された所以でありましょう。それら関連作品も書画も各々に素晴らしいとは言え、やはり陶芸作品が圧巻です。熱い思いをもって訪れる人々の期待を見事に裏切る?「想像以上に素晴らしい」見応えある作品展です。

 なお敢えて個々の作品について感想等を記しませんが、「慾袋」と銘された伊賀水指、「雪の曙」と銘された茶碗、ひょうきんに描かれた「自画像」(油彩)、墨書「無茶」「苦茶」・・・が印象的でした。

                                                           

  
  まだ少し雪の残る蒜山高原   でも桜の蕾も膨らみはじめ・・・    空も陽光も樹々も春へ

 今月の介護帰省は・・・
 ①グループHに居る父の内科&歯科検診付添い、医師との意見交換、②独居している母の心身の状況と暮らしぶりについてケアマネ・ヘルパー・デーサービスの方々とのカンファレンス・・・が主な内容でした。父は心臓の数値(BNP)のほかは順調ですが、認知は確実に進んでいますね。
 母には施設に入ってほしいのですが、相変わらず「入らない」の一点張りに徒労感でいっぱい・・・

 ほんの少しの間・・・
 この間、韓国ドラマ「ホ・ジュン」をずっと見ていました。17世紀に活躍した朝鮮の名医の生涯を描く歴史ドラマ、いつも水戸黄門的?な展開ではありますが、最終回は名医ホ・ジュンにして治せなかった母親の認知症が治る展開がありました。歓ぶ家族にホ・ジュンが言います 『死ぬ前にほんの少しの間、良くなることがあるのだ』 と・・・。私の父にもそうした『ほんの少しの間』があるのでしょうか・・・。

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吾輩も猫である 91 ( 団塊世代は介護世代 )

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 主人の思考回路
 数年・・・ひとつ屋根の下に暮していると主人の思考回路がわかってくる。茨木のり子と言えば、詩 「わたしが一番きれいだったとき」 を思い浮かべるだろうが、主人に 『茨木のり子の詩で一番に挙げるとすれば?』 と訊ねたら、思ったとおり 『その時』 と返ってきた。その時!にはまだ早かろうが・・・。

 茨木のり子 「その時」
セクスには/死の匂いがある ・・・ 新婚の夜のけだるさのなか/私は思わず呟いた/どちらが先に逝くのかしら/私とあなたと ・・・ そんなことは考えないでおこう/医師らしくなかったあなたの答 ・・・ なるべく考えないで25年/銀婚の日もすぎて/遂に来てしまった/その時が/生木を裂くように 

 「若者たち」 から 「老人たち」 へ
 主人に「聴きたい歌は?」と訊ねると、「いっぱいある」と言いつつ・・・「若者たち」。1960年代後半~70年代前半、団塊世代の青春の一つの典型を描いたTVドラマであり映画でありテーマ曲であった。今や「老人たち」となり老人たちの親たちを介護する世代、やがて自らが介護される世代でもある。

 「若者たち」 詞:藤田敏雄 曲:佐藤勝
君の行く道は果てしなく遠い だのになぜ歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで
君のあの人は今はもういない だのになぜ何をさがして 君は行くのか あてもないのに
君の行く道は希望へとつづく 空にまた陽が昇るとき 若者はまた 歩きはじめる


              【B面】「星に祈りを」 https://www.youtube.com/watch?v=cclTxHRexXs

 原発事故は二度と起きないか?
 タイガース「廃墟の鳩」がリリースされたのは主人がまだ10代であった1968年、半世紀近くも昔だ。この歌の11年後にスリーマイル島の原発事故が起き、チェルノブイリ(1986年)、福島(2011年)とつづく。この歌を思い出させる原発事故はもう起きない、二度と起きないと、言い切れるだろうか。

 「廃墟の鳩」 詞:山上路夫 曲:村井邦彦
人は誰も悪い事を覚えすぎた この世界 築きあげたユートピアは壊れさった もろくも 
誰も見えない廃墟の空 一羽の鳩が飛んでる 真白い鳩が 生きることの歓びを今こそ知る 人はみな 
汚れない世をこの地上に再び創るために 人は目覚めた 生きることの歓びを今こそ知る 人はみな


 
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吾輩も猫である 92 ( なにもない日常 )

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 なにもない日常
 『とり敢えず今が潮どき辞めるとき12月26日はサラバ記念日』。そう詠んで主人がリタイアして3年余、さすがに此頃はなにもない日常に飽いている風情だ。「なにもなければいいじゃない?」と言うと、「それとは意味がちがう」んだそうだ。細君も「こう一日じゅう家に居られたんではねぇ」と、やや不満顔。さあ主人、ど~する?

 自然体とは・・・
 『コスモスはにんまり風に甘え居り自然体とは無頼なること』。主人が敬愛する歌人、道浦母都子さんの歌である。自然体とは無頼なること・・・う~む、難しい。難しいが、わからないではない。わからないではないが、やっぱり難しい。主人に感想をきくと、「おまえはコスモスといっしょやろなぁ。俺もコスモスやおまえになりたいよ」。

  

 旅立ちの装い
 主人がリタイアしたその職の前任者は7年前の4月1日に亡くなった。毎年4月1日を迎えると、「もういちど桜が見られるかなぁ」との彼女の言葉と思い出が甦る。桜をこよなく愛し桜が開花する時期に限り渋めの桜色のスーツを召されたそうな・・・。旅立ちの日も、彼女は桜色のスーツで颯爽と虹を渡ったにちがいないと、主人は思う。 ※ 末尾に「補遺」 

 もう一つの旅立ち
 4月2日は、主人の腎がん手術のちょうど1年後、主人と同じ出術をされた方の命日。初期に発見されながら術後3月で肺に、更に骨に転移。術後1年半の昨年3月半ば、「いつ呼吸停止してもおかしくない」と医師に終末期医療について問われ、『私、死ぬ気がしないんですけど』と答えた彼女は、その2週間後、虹の彼方に旅立った。

 この旅が終わる頃には・・・
 4月は出発(たびだち)の月。毎年この時期、多くの若いひとがすぐそれとわかる姿で街を歩く。やがて夏を迎え秋を迎える頃には周りにすっかり同化し「それとわかる」姿は俄かに見られなくなる。そうした年月を20年、30年、40年・・・やがて「なにもない日常」を迎える。
 北川賢一「大切なもの」の一節・・・『あたたかい人の優しさに/僕はこたえられているだろうか/この旅が終わる頃には/そのこたえも見えてくるだろう・・・この空の下/かけがえのない大切なもの』。



  ※ 補遺 ・・・ 「お別れの会」における弔辞より
 友人代表として弔辞を述べられたのは彼女の出身大学で同期の、そして当時その大学の学長をされていた方でした。以下は、原稿なしに語られた弔辞を、当時メモをもとに再現しておいたものです。但し、途中私自身が感極まりメモをとれなくなったため一部が抜けています。

『弔辞』 〇っちゃん、今日は頑張って泣かんと言うから、マジメに聞いてくれ。
 〇っちゃんが一時退院して入ってたホテルのスウィートルーム、なんちゅう豪華な部屋やったんや。一晩でええから泊めてくれ!って言うたら、あんた、ベッドがない!言うたな。 それでオレ、「あんたのベッドで寝てやるから!」って言うたら、「私にはその気はないっ!」って。「オレかてその気はない!」言うたら、あとは二人で大笑いやったなぁ。

 夜、急に〇っちゃんに会いたくなって、「今から行ってもええか?」って電話したら、 「来てもええけどイチゴのケーキ買って来な、部屋入れへんで!」って…。
 去年のクリスマスイブ…。例によってオレの家でやるパーティに〇っちゃんも来てくれたな。ええんか?言うたら、ええねん!って。その日、アンタいっぱいみんなと写真とってたな、ニコニコ笑いながら…。お別れ写真のつもりやってんなぁ。

 〇っちゃんのホテルの部屋で開いた年末の忘年会には、オレ、行けへんかった。すると夜中に、「早よ来い!」って。しかも、「お酒が足りひんからワインと焼酎もってこい!」って。オレ、ビンテージもんのワインと幻のナントカ言われる焼酎もって行った。あたりまえやけど、オレ、ちっとも惜しい思わんかった。
 
 ・・・中略・・・ ここで話したいことはなんぼでもある。なんぼでもあるけど、それより何よりもう一回、〇っちゃんと話したい。ここでなんぼ話しても尽きないし、なんぼ話してもむなしゅうなるだけやから、もうやめにする。あとは、オレかて、早く行きたいとは思わんけど、いずれそっちに行くことになるんやから、その時また語り合おう。それまでのお別れや。ありがとう。ほんまにありがとう。

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吾輩も猫である 93 ( 主人の憂鬱のタネ )

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  眼の手術から1年・・・
 主人が憂鬱そうだ。左右の眼をかわるがわる手で隠し視界を較べている。去年の今頃、左眼が歪み霞むため某医大を受診、『黄斑上膜』『白内障』ということで入院・手術した(※下記参照)。それから一年、白内障は「視界がグッと明るく良くなった」ものの、「歪み・霞みは寧ろ悪くなった」と嘆いている。

  ※ 吾輩も猫である48~50「眼科病棟記1~3」 
    1.http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/55f897da8fc9a058b55ef6f3f5a55b88
    2.http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a07a75a919d44c083ef090f858c2538d
    3.http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/fbb7f2f6901f192825a19439bbf025ac

  眼科医院~医大~眼科医院
 医大には眼科医院の紹介で行った由。地元では特に定評のある医大なので、主人も「安心した」と歓んでいた。手術も無事終わり経過も順調で、退院後しばらく医大に通院していたが、「今後は〇〇先生(眼科医)にお預けします」と、元の眼科医院へ。以下、主人の語る眼科医院でのやりとりである。 

 主人「術前より寧ろ悪いのはなぜでしょう?」   医師『悪くなっていないですよ、いいですよ』
 主人「歪みも霞みも術前より悪いのですが・・」   医師『矯正視力0.8~1.0は決して悪くないです』
 主人「視力じゃなく、歪みと霞みなんですけど・・」 医師『心配いりません』
 主人「これからまだ良くなるということですか?」  医師『術後1年、まぁだいたいこんなものでしょ』

  眼は左右で欠陥を補いあう・・・疾病の発見が遅れる要因でもある
 質問と答がびみょ~に噛みあわない。医大と連携、紹介した手前、悪くは言えないのだろう。主人も「見えない」わけでも決定的に不自由でもないため我慢している。ただ「左眼だけでは読書はまず無理」と言っている。眼は良くも悪くも左右で補いあうため両眼では欠陥が目立たないのだそうだ。

  「猫カレンダー」と吾輩から主人に捧げる川柳
 まぁ 憂鬱のタネ 否! 憂鬱ネタでは後味が悪い。猫カレンダーをご紹介し、おクチ直ししていただこう。この猫カレンダー、写真と川柳のマッチングがニクイ! 加えてカレンダーの猫たち、ただ可愛いだけじゃないところにカワイゲがある。それは兎も角、吾輩も主人をテーマ?に一つひねってみた。
 『 検診日 主人の背中 猫背だぜ 』  『 淋しさに ヒトなで声で 吾れに寄る 』 (by シマジロウ)

 


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吾輩も猫である 94 ( 再び経済を論じてみる )

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 はからずも退職金を手にして・・・
 一度論じたことではあるが、投資と経済について改めて・・・。2007年12月、主人はある職に就くにあたり一度退職した。定年まで間があり退職金のことなど考えもしなかった。が、退職金が振込まれると、まず細君が『どうします?』。嗅ぎつけた銀行も『運用のご相談を承ります』。が、面倒くさがりの主人『定期の金利なんて殆どゼロに近い』と普通預金のままほったらかしにしていた。

 ちょいとその気になって・・・
 細君は兎も角、銀行はほっておかない。銀行『高金利の金融商品もございます』。 主人『ハイリスク、ハイリターン?』。 銀行『有利で安心な投資信託とか・・・』。 主人『銀行さんも変わりましたねぇ』。 銀行『時代でございますねぇ』。すぐその気になりやすい主人、ニンマリこいて・・・「うまく行けばリタイア後の海外旅行資金に!」と退職金の〇割をローリスクながらローリターンの投資信託にまわした。

 ローリスク・ローリターンでも変化の激しい市況
 が、2~3か月して金融情勢が一変! リーマンショックで世界中が大騒ぎになった。主人「まぁしゃあない」と例によってほったらかし・・・。が、塩漬けして4~5年、アベノミクスで風向きが変わり、一時は(基準価格が)買値の半分まで値下がりしていた投資信託が回復してきた。主人「待てば海路の日和あり」と、ほぼ元金まで戻した一昨年春、ようやくこの投資信託を処分した。

 授業料? 欲?
 損!はしたが、底値の頃を思えば「授業料」と思うことにしたようだ。処分した時は既にリタイアして年金生活に入っていたが、そこから旅費を工面しバルト三国への旅に出かけた。それから更に2年近くがたち、市況は引続き上げ潮にある。もし今!処分していたら、かなりのプラスも出たことだろう。が、吾輩思うに、お調子者の主人のこと、そのプラス分は授業料転じて欲!になったことだろう。

   
                                                  【Painted by QP】
 米国から連鎖が始まった世界のネズミ講
 今、株式市況(日経平均)は15年ぶりに2万円台を回復。が、果たしてそれでも「自由経済」なのか?「市場原理」と言えるのか? 米国の中央(連邦準備)銀行による「量的金融緩和」ではタブーの証券買入れに手を染め、米国及び世界の市況を盛返した。米国が責を果たすと、よってたかって「次は日本の番だよ」と・・・。なんたらミクスとはそんな世界経済のネズミ講を担ったに過ぎない。

 どの時点で日本はアウトに?
 かくして日本(日銀)も量的金融緩和に踏切り、国債買入れは勿論、年金原資を使って証券市場を下支えしている。やがて日本の金融が危なくなると、次は欧州の中央銀行が追随する予定らしい。が、欧州が果たして追随するだろうか? なぜなら欧州につづく中央銀行はもうない。ロシアも中国も豪州もそんな力はない。もし欧州が知らんぷりしたら? その時点で日本はアウト!である。

 財政は? 年金は? 預金は? 物価は?
 で、ど~なるか? 「(市場に)誰もいなくなる」日がくる。年金原資に大穴があき年金額は大幅に減らされる。日銀は紙幣を印刷して国債の返済にあてるため猛烈なインフレが襲う。預金は実質半分以下に目減りする。そんな猛烈なしっぺ返し(「恐慌」と言う)でしか破綻した財政・金融は修復できない。官がリードする官制相場は陥穽!相場なのだ。猫には関係ないが、猫も心配なのである。

  
                                                  【Painted by QP】
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閑話休題 ( 驚異的な占い )

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                                      満開の桜花もいつしか葉桜へと・・・

 驚異的!な占い 結果に・・・どき~~ん
 驚異的な占いをご紹介します。ぜひお試し下さい。但し、始めるにあたり一つだけ約束事があります。簡単な約束で 『順序にそって率直に記していただく』 こと。くれぐれも 最後まで読んでから始める! な~んてことをされないようお願いします。順序にそって進まないとこの占いは当りません。

ア) まず、1~11まで、縦の列に数字を記してきください。
イ) 1と2の横に『3~7の数字から好きな数字』を各々1つずつ記してください。
ウ) 3と7の横に『知っている異性』または『関心のある異性』の名前を記してください。
エ) 4、5、6の横に、各々『知っている人(家族でも誰でもOK)』の名前を記してください。 
オ) 8、9、10、11の横に、『好きな歌の題名』を各々一つずつ記してください。
カ) 最後に、欄外に『願いごと』を記してください。
 さあ心の準備はよろしいですか? 「結果」の素晴しさ!に驚かないでくださいね
 繰返しますが、前記の順序で記すこと! 結果を先に読んでは・・・願いごとは叶いません
 記しましたね はい!結構です。では結果をご覧ください。

  

a) 3に記した人は 「貴方の愛する人」です。
b) 7に記した人は 「好きだけど叶わぬ恋の相手」です。
c) 4に記した人は 「貴方にとって大切な人」です。
d) 5に記した人は 「貴方を大変よく理解してくれる人」です。
e) 6に記した人は 「貴方に幸運をもたらしてくれる人」です。
f) 8に記した歌は 「3に記した人を表す歌」です。
g) 9に記した歌は 「7に記した人を表す歌」です。
h) 10に記した歌は 「貴方の現在の心を表す歌」です。
i) 11に記した歌は 「貴方の人生を表す歌」です。

  

 如何でしたか? 結果について感想をコメントくだされば歓びます(マモエさん風・・・)
 アタリ!だった方には「占いの神様の預言」を私よりレスポンスさせていただきます
 残念ながらハズレ!だった方には、なぜハズレたのか心理分析の上、フォローいたします
 ではでは ご機嫌よう!

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閑話休題 ( 京都:高瀬川~祇園 )

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                                  ギャラリー 「 高瀬川・四季AIR 」 2階より

 私も個展に! 妻も個展に! 
 御所の一般公開に行くつもりが公開期日を一日間違えて行けませんでした。花見はお天気を待っているうちに機会を逸しました。そこに女友達?から「京都で個展(二人展)をしているのでいらっしゃいませんか?」と・・・。偶々妻が「押花展」で京都に行く予定があり「お昼」だけ一緒の別行動?でした。

 京町屋風ギャラリーで 「二人展」
 ギャラリーは、京都式に「河原町四条下ル仏光寺東入ル」の京町屋二階建(下左)。築80年とは思えないしっかりした造りの1階からはそのまま高瀬川に降りられます。個展の主!は小林冬道さん(水彩画)とkuma3さん(色鉛筆画)・・・ちょっと勘違いされますけどお二人ともレッキとした女性です(笑)

  

 それぞれの個性が作品に響きあっています
 小林さんはスイスなどの風景と人物画、生き生きした筆と淡い色合いが魅力的です。kuma3さんは殆ど猫の絵、色鉛筆で細密に描いた絵は生きものへの愛しさにみちています。互いの肖像を描きあった作品はじめ個性が気持ち良く響きあった二人展でした。 ※ 写真UPは了解済です。

  

  

 高瀬川・・・江戸時代初期に開かれた運河 
 上下の写真はいずれも高瀬川の風景・・・江戸時代初期に豪商角倉了以父子が開いた運河で、木屋町通に沿ってこの川を高瀬舟が行き交いました。現在はイタリアンやフレンチのレストラン、カフェ、ギャラリー、雑貨店などが立ち並び、彩やかな花々と緑陰がおしゃれな雰囲気を醸しています。

  

 高瀬川から四条通に出ると京都一!の繁華街です。四条通と鴨川に面した角の東華菜館(下左)、かつて妻方の両親・弟妹一家とここで会食した愉しい夜は、忘れ得ない最高の思い出です。四条大橋を渡ると歌舞伎の南座(下中)、そして祇園に向けて更に行くと歌舞練場のある花見小路へ(下右)。

  

 確執、軋轢があろうと人は溶けあう
 四条通を東山通につきあたると朱塗りの八坂神社(下左右)。観光名所とあって各国語が入り乱れますが、今は何と言っても中国語が一際!目立ちます。尖閣領有権などをめぐり政府間ではびみょ~な確執、軋轢があろうと、人!はごくごく普通に自然にこの場に溶けあっています。そういうものです!

 

 華やぐ境内にて
 八坂神社の境内には着物姿の若い女性が目立ちました。観光客の貸衣装・・・とはわかっていますが、やはりこの場によく似合っています。桜も盛りは過ぎましたが重量感?のある八重桜は本数は少なくても十分!存在感があります(下中)。名前で引くお神籤がはやっていないのは意外でした(下右)。

  

 円山公園に断捨離の影響?
 境内の古着の露店(下左)、一着2千円は結構!安いと思いました。「断捨離」ブームで品物が過剰なのでしょうか・・・。結婚式(下中)も執り行われていました。大勢の観光客が証人・・・ゆめゆめ 成田、否! 関空離婚などされませんように! 境内から円山公園に入ると知恩院(下右)へ・・・。

  

 幽霊のような感慨
 円山公園の枝垂桜はすでに幽霊?です(後方は東山)。学生時代、夕闇の中ここで集会したことがあったなぁ・・・ってそれこそ幽霊みたいな感慨ですかね(笑)。尺八を吹いていらっしゃる方(下中)・・・もちろん営業!でございます。何やら怪しげなのは鳩の群れ(下右)、夜だとちょっと不気味かも・・・。

  

 滅多に乗れない車両
 京都の学生は「一度は鴨川畔で恋人とデートしたい」と思う(思うはず・・・)。恋人たちのデートショーの最大の名所はここ四条大橋を降りた鴨川の西(下左)。「等間隔の法則」で並び愛を語り合います(語りあうはず・・・)。帰りの阪急、見慣れない車両(下右)は「滅多に乗れないらしい」と後で知りました。

 

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閑話休題 ( 補遺 : 高瀬川 ~ 祇園 )

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       写真をもっと大きく!との声にお応えし写真を主に改めてUPします。

  本文は、前ページにありますので、下のリンクをクリックしてご覧ください。
  本文  http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7116281816ac89953de7c65ebdaabe75

  【 高瀬川 】 紅葉と八重桜がほどよく称えあっていました。


  【 これも高瀬川 】 水深20cmほどの浅い川です。


 小林冬道さんが描いた 「kuma3さん」 の肖像   kuma3さんが描いた 「小林冬道さん」 の肖像
 
        ※ まだらに白い部分は光線によるものです。またお名前等にかかわらずお二人とも「女性」ですので念のため!

 
                  by kuma3さん                      by 小林冬道さん

  【 高瀬川に面した木屋町の小料理屋さん 】


  【 高瀬川 】 春の光をいっぱいに浴びて・・・
 
 

  【 鴨 川(四条大橋より) 】  西側(左)の道は広く東は細いため人は西に偏ります。


  【 鴨 川 】 納涼川床もちらほら(左) 遠くに見えるのは三条大橋  更に遠くに 北山


  【 八坂神社 】 朱塗りの 「 楼 門 」 は重要文化財です。


  【 八坂神社 】 お詣りするお嬢さん 『お金持ちでハンサムのえぇ男が見つかりますように』


 【 宴のあと・・・ 】                       【 宴にあやかり鳩たちも満腹してお昼寝? 】
 

  【 円山公園 】 東山を背に八重の桜 彩やかに・・・

 
 春がまた来るたび 目に映る景色も 少しずつ変わるよ 
 陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く 気がつけば 五十路をこえた私がいる
 信じられない速さで 年が過ぎ去ると 知ってしまったら 
 どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

 満開の桜や 色づく山の紅葉を この先いったい何度 見ることになるだろう
 ひとつひとつ 人生の扉を 開けては感じるその重さ
 ひとりひとり 愛する人たちのために 生きて行きたいよ

 君のデニムの青が 褪せて行くほど 味わいを増すように
 長い旅路の果てに 輝くなにかが 誰にでもあるさ・・・

 I say it's sad to get weak.
 You say it's hard to get older.
 And they say that life has no meaning.
 But I still believe it's worth living.
 But I still believe it's worth living.  (  「 人生の扉 」 より )



  ※ コメント欄はず~~~っと下↓のほうにあります。

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吾輩も猫である 95 ( 戦利品 )

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 主人の帰省に同行 

 久しぶりに主人の帰省に同行することになった。連休に入れば道路が混むので、それまでに「務めを果たしておきたい」らしい。吾輩にすればいぃ迷惑なのだが、細君も同行するからには、吾輩一匹行かないわけにはいかない。まぁ、ペットホテルに閉じ込められるくらいならまだマシ!ではある。
 
 さて、その主人の郷里は鳥取県(境港)。と言っても、大抵の人は鳥取県と島根県の位置関係さえわかっていない。主人も、勤め始めて盆暮れに帰省する際、「島根やったな。気ぃつけて帰りや」となんべん言われたか知らん!と・・・。まぁ山陰の小さな2県の位置なんて、どうでもいいこと・・・なのだ。

 戦利品(その1)・・・チョコとガム

 昭和20年代~30年代の郷里には、もはや死語となったが、「進駐軍」が健在?だった。市内に自衛隊と同居する空軍基地、海峡の向かいの出雲半島の小高い山に米軍レーダー基地があった。当時まだ珍しかった自動ドア付の米軍専用バスが、米兵はじめ基地関係者を乗せて県道を走っていた。
 
 主人が小さかった頃、家の前に米兵一家が住んでいた。たぶん主人がみた最初の外国人であろう。奥さんはいつもイライラ、ヒステリックに喚いていた。その所為か日本人のメイドさんも「ハバ!ハバ!(早く)」が口癖だった。その家の「ウェンリー」はじめ、近所には数人の進駐軍の子がいた。

 進駐軍の子と日本人の子はよく西部劇ごっこをして遊んだ。日本の子はインディアン役、進駐軍の子は騎兵隊やカウボーイ役と決まっていた。殺される側の日本人の子が、殺される代償に貰ったチョコやチューインガムは言わば負け戦の戦利品・・・ほろ苦く限りなく甘い戦利品だった。

  
 幼き頃とは言え数年前の吾輩    吾輩が恋い焦がれる乙女   家族仲良く All painted by QP

 戦利品(その2)・・・ハンバーグ、コーラ、スロットメタル、白い肌

 やがて飛行場は自衛隊に移管され、進駐軍の姿は町から消えた。しかし山の上のレーダー基地は主人の高校時代もまだ米軍管轄下にあった。英会話の練習?で基地を訪ねると、戦利品はもはやチョコではなくこってりのハンバーグ、クスリくさいコーラ、時にスロットマシンのメタルに変っていた。

 境港には材木を運ぶロシア船も多い。「英語を話せる船員と英会話する」はあくまで建前、ロシア船には女性も多く磁器のような白い肌に魅せられ!が真相だろう。また彼女達は真冬でも浜辺に出てはビキニで日光浴を楽しむ。その光景は、松林から盗み見る男子高校生の「目の戦利品」となった。

 戦利品(その3)・・・機雷、密入国者、埋立地

 浜辺には時に機雷が漂着し、地引網に引っかかることも・・・。また密入国者が上陸したと大騒ぎになったり、「拉致問題」ではこの近くから船で連れ去られた人も・・・と囁かれている。機雷だの密入国だの拉致だのは戦利品とは言えまい。が・・・「戦争」に端を発していることだけは間違いない。

 浜辺は三十数年前に広く埋立てられた。主人の父親は「埋立反対」で市議会の座り込みにも行った由。が、「本日は流会」となり解散した深夜、議会が再召集され「埋立」を議決した。そこに企業を誘致!の思惑は外れ、広大な荒地が広がっている。この埋立地、果たして誰の戦利品なのだろう・・・。

 
      昭和50年代の弓が浜と日本海         埋め立てられた弓が浜(後方:出雲半島)

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閑話休題 ( 菓歩菓歩 )

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 先週の土曜日(4/25)、ドライブに出ました。目ざすは時代に遅れた、否! 時代にも時間にも急かされないスウィーツ&カフェ&ランチのお店「菓歩菓歩(カポカポ)」。その翌日からは例月の介護帰省、またかりかり!きりきり!することになりますから、その前にゆっくり心をもみほぐすために・・・。

 菓歩菓歩は、「安全で安心な原材料を使用したおいしい食べ物」をモットーにミレニアム年の1月にスタートしました。特色は・・・第一に注文した品が出るのが超遅いこと、第二に超!ではなくとも結構!高いお値段、第三に超!美味しく身体が健やかになることを実感(ややオーバー!)させてくれること。

  
         菓歩菓歩の店内から外を眺める・・・(写真中の鯉のぼり、見えますか?)

 由良川に沿って両隣は「わち山野草の森」と「カヌークラブハウス」、如何にものどかな時間がそこに待っています。10人余がせいいっぱいの店内、外のパラソルの下もOKです。由良川には二十数旒の鯉のぼり、終わりかけの八重桜と春の陽ざしきらめく水面とそよぐ風、心地よい午后のひとときでした。

 

 この日のランチメニューは、カリカリじゃこの和風パスタ、季節野菜のトマトソースのパスタ、ゴーダチーズと黒胡椒のパスタ、そして地鶏の柚子胡椒風味のパスタの4品。私は季節野菜の・・・(下写真)、妻はゴーダチーズの・・・をオーダー。私たちのほかには、ほぼ同年輩のご夫婦が一組だけでした。

 最低でも1時間以上は覚悟!ゆえ、由良川に降りたり山野草の森に出かけたりします。ところがこの日は、由良川をぶらぶら歩き思いきり伸び!をしたりしていたら、「ご用意できました」と。菓歩菓歩も時代の速度に引きずられたのかなぁ・・・と思いつつ、やっぱり超!美味しいランチは変わりありません。

 ここはスゥィーツも有名で、京都市内のレストランにも出されています。お値段が高い!のにちょっとビビりますので、この日はケチりましてケーキやクッキーの端っこを一山500円でゲット!しました。やはり年金生活になじんでくるとこんなものでございます(泣)。けど美味しさは、い~~っしょっ!(笑)

  
 

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閑話休題 ( 菓歩菓歩 「 補遺 」 )

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 前頁「菓歩菓歩」※の隣には「わち山野草の森」。広大な敷地ですから、1時間では歩き切れません。運動靴も必須ですし、これから暑くなれば帽子は勿論、着替えのシャツもご用意ください。機会があれば「菓歩菓歩」同様ぜひ訪ねられ、野の花々を愛でつつ山野ウォーキングをお楽しみ下さい。

 以下、目にした花々をざ~っと写真でご紹介します。『くさぐさの名は知らぬらし花の名は知らぬらし花の咲く咲く』・・・上から詠んでも下から詠んでも(回文)の歌があれば、『ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花』との米国からきた若き僧侶の言葉もありますゆえ、花の名はスルー!ということで・・・。

  ※ 前頁本文 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/504d42d2295874a695fbed68686a3679

      

 花にはとんと縁(関心)がなかったのに、入院・手術した4年前の夏から少しずつ関心をもつようになり、ブログを始めた一昨年秋から更に・・・。写真にもまるで関心がなかったのに、3年前にトルコを旅したあたりからむくむくと・・・。その花と写真が一つになって、少し・・・人が変りました(笑)

      

 北野天満宮(梅園)とか御所(御苑)とかでカメラを構える人を「煩いなぁ」「邪魔!」と思っていました。それが今では私がカメラを手にして近づいて撮ったり離れてバシャバシャ・・・。カメラをとおしてこそ発見する画像もあり、カメラの眼を意識するようになりました、遅まきながら下手ながら・・・。

      

 そのカメラが調子悪くなり、なぜかPCも時々ストライキを起こし始め、ブログへのモチベーションがかなり低下しました。暫くやめようかなぁとか、逆にもっといいカメラ・PCに買い替えようかなぁとか・・・。まぁそう思うのも、ブログの世界に幾らかなりのめりこんだ証しではありましょう。

      

 写真だけではもの足りません。QPのPC画を拝借しました。馬酔木、ミモザ、菜の花、桜など春景色・・・やっぱりイエロー、ピンク、グリーンが春の光によく映えます。 QP? WHO? とよく問われますので改めてご紹介します・・・学生時代のサークルの後輩で、たいへん聡明な女性です。

     
 
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吾輩も猫である 96 ( 主人、警察に逮捕さる )

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 先日、主人の帰省に細君ともども吾輩も厭々同行したことは既に少し触れた。本来であれば(別に本来!でもないが・・・)帰省してからの諸事について詳報するところだが、主人のデジカメがなぜか急に言うことをきかくなったこともあり、往路途中までの若干の報告にとどめたい。

 いつも名神茨木 ~ 中国吹田 ~ 落合 ~ 米子道のルートをとる。既に大型連休に入ったところもあるのか(4/26)道路はかなり混んでいた。吾輩、細君の膝の上だから文句はない。文句はないが、渋滞するとそれだけ時間がかかり、自由を本分とする吾輩としては如何にも困る。

 それでも西宮あたりを過ぎると車の流れが良くなってきた。となれば遅れを取り戻すために勢いスピードUP!となる。主人、アクセルを踏もうとしてナニゲにバックミラーを見ると、な、なんと!パトカーが追跡してくるではないか! 主人、蒼ざめつつ速度計に目をやるとぎりぎり80km。

 で、パトカーは?と言えば、そのまま主人の車をピタッと追跡。主人、あましに気分が落ち着かず、加西SAが見えると、たまらずウィンカーを出してSAに入って行った。と、ところが、パトカーもウィンカーを出して更に追い駆けてくるや内科医! 主人「もう~! カンニンしてください!」。

 

 で、ご覧のとおり、主人、パトカーにとっ捕まった。おまわりさん「はい!こっちですよぉ、どうぞぉ~」と、こ~ゆ~ときの独特の笑顔でお迎え。主人も仕方なく、バッグの中の免許証を手で探しながら「制限速度内やし、他になんかやったかなぁ?」とビビり顔でパトカーに座らされた。

 おまわりさん 「写真撮りましょうか?」。主人 「え? 顔写真? 身柄逮捕ですか?」。おまわりさん 「記念になりますよ」。主人 「き、記念って、あなた・・・」。おまわりさん「今日は安全運転キャンペーンでパトカーの中を見て貰ってます」。更に「記念品も差し上げましょう」と満面の笑顔。

 パンフレットのほか軍手と蛍光ペンセットとサランラップが入った袋を手に、主人「心臓に悪いワ。まぁ反則キップやないから貰っといたけど、それにしても軍手は兎も角、なんで蛍光ペンやねん。なんでサランラップやねん。貰わんよりもろたほうがえぇけどな」と関西風に一人掛合いでぶつぶつ・・・。
 

  この写真、左から大きなイノシシ、右からは犬と猫 ・・・ に見えるのは気が動転してるからかなぁ

 その所為かどうか「佐用」を過ぎたあたりで写真を一枚撮った後、カメラのシャッターがおりなくなった。米子インターからなかなか姿の良い大山が撮れるのだが、やはりシャッターがシャット!したままディスプレイに「レンズエラー」のメッセージ・・・。と言うことで、今回はこのへんで・・・。

                                  
                                                All painted by QP

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閑話休題 ( 高槻ジャズストリート 2015 )

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 高槻ジャズストリートは今年で17回目を迎えます。ジャズオタクっぽい始まりかと思われるでしょうが、第1回にして3万人を集めました。現在では15~20万人規模に膨らみ、いまや大阪では「天神祭」、岸和田の「だんじり祭」と並ぶ三大祭と言われるまでになりました。

  

 今年も5月3~4日の2日間、市内57会場に、日野皓正さん・古谷充さんらプロのジャズメンからジャズ以外(和太鼓・フォークetc.)のエントリーを含めて759の出演者(団体)が協演し、寄付金とボランティアによって運営されているため、すべての会場が無料で開放されています。

 
              いずれも JR高槻駅につづく「オーロルラモール広場」にて

 オーロラモールのある高層ビルは、私が高槻にきた70年代半ばはありきたりの古い駅前商店街でした。JRはまだ国鉄でしたし木造平屋の駅舎でした。そこに西武SCが進出、次いで駅前商店街が再開発され現在のオーロラモールとなり、駅舎も35万人都市の玄関にふさわしく建替えられました。

 
        JT生命誌研究館            友人のオカリナグループ「ピクニック」の演奏

 JR駅に程近い旧専売公跡に2001年に建てられたJT生命誌研究館。「P2レベル」という高度の研究・実験が行われています。分子生物学分野では知る人ぞ知る中村桂子さんが草創期から館長をされ、かつて分子生物学を学んでいた愚息によれば『あそこは余程優秀じゃなきゃ行けないところ』。

 生命誌研究館もジャズストリート会場の一つ。私の友人2人がオカリナグループ「ぴくにっく」で演奏すると聞き出かけました。一つ前のグループが大音量のバンドで、アコースティックなオカリナは如何にも迫力を欠きちょっと可哀そうだったかな・・・。でも優しい癒しの演奏、贔屓めながら Very good!

 
    西武ショッピングセンター前広場にて           阪急「高槻市」駅前広場にて
 
 普段はJRより北が賑わう高槻市ですが、ジャズストリートではJRより南側に会場も人も集中します。ために西武の会場(上左)はちょっと人が少なくて気の毒な感じがしました。逆にJRの南、とりわけ阪急の北側広場(上右)には数百人の聴衆がいて、奏者もノリ!ノリ!で吹いていました。

 
                 いずれも阪急(ミング)高架下広場にて

 阪急高架下は、現代劇場や市民グランドに往き来する聴衆が必ず通るところであり、商店街にも近いため道路まで人があふれ通行マヒ状態・・・ボランティアやガードマンの人たちが大汗かいて整理していました。それにしてもなぜかここに出演するグループは、毎年きまってイキ!がいいのが不思議。

 
          野見神社境内にて                市内57会場へのアクセスマップ

 野見神社の神様も毎年のことゆえ慣れはったやろけど、大音量のバンドにはびっくりしはるやろなぁ。トロンボーンのお嬢さんが激しく動くとミニスカートも気になるやろし・・・(それはカミサマやなくアンタやろ!)。なお高槻市バスは出血大サービスで、会場間に無料送迎バスを運行していました。

 
       高山右近に由来する高槻カトリック教会聖堂          教会の高山右近レリーフ 
 
 現代劇場(市営のホール)の裏は高槻カトリック教会、高山右近に由来する教会です。ここの神サマも野見神社さんに負けてはならじと?会場を提供されていますが、この日は日曜日(安息日)でお休みでした。なかなか感じの良い聖堂で、ミサが行われていれば仏教徒ながらお詣りしたのですが・・・。


                                            高槻カトリック教会外観

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吾輩も猫である 97 ( 母の日に贈る 佐藤しのぶコンサート )

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 日本を代表するプリマドンナ(ソプラノ)でいらっしゃる佐藤しのぶさん。彼女は「メイシアター」のある吹田市で小学校2年まで過ごされ、その後は吾輩の住む高槻市で青春時代を送られた。 『 同級生はじめたくさんの友人、知人、そして街の風景・・・すべてが懐かしい 』 と仰っていた由。

 ところでこのコンサート記、吾輩は家に居残っていたわけだから主人が書けばいいのだ。が、主人 『オレが感想を話してやるからオマエが書け』 と。「吾輩も猫である」 が間もなく第100回を迎え、早くそこまで行かせたいらしい。吾輩に格別な思いはないが、主人にはそれなりの思いがあるようだ。
 
  

 口づけ  愛の歓び  禁じられた歌

 キス!では左程セクシィに思わないのに、口づけ!の響きに主人の胸はきゅん!となる。猫の理解を超える人間の感覚、まぁ勝手にセクシィになりなはれ。で、この 「口づけ」がオープニングに歌われたわけは、エンディングになればわかる。読者は最後まで読むほかない(最後だけ読まんといて!)

 つづく「愛の歓び」もまたセクシィなタイトルで、結婚式でよく歌われる。が、「愛は一瞬、幻滅は一生」なる歌詞である。「禁じられた歌」は、恋人と塀を隔て高い窓越しに愛の歌を交わしあう二人に、母親が歌うことを禁ずる歌である。禁じられれば禁じられるほど恋は熱く深くなると知ってか知らずか・・・。

 「母の日に贈る」コンサートのコンセプト

 ここで会場を運営する財団所属のメイシアター少年少女合唱団が登場、 「ありがとうの花」 「歌はともだち」 を心にしみる澄んだハーモニィで合唱。佐藤さんと子ども達のやりとりを聞き、主人 『佐藤さんのこころに触れ、このあたりから今日のコンサートの “ 本当のテーマ ” が少しづつわかってきた』。

 佐藤さんと子ども達が一緒に歌う「Rememfer(リメンバー)」。詞:なかにし礼、曲:鈴木キサブロー、2013年に彼女の依頼で作られたオリジナルである。彼女は言う 『広島長崎を忘れない。チェルリブイリを忘れない。福島はじめ東北大震災の悲劇をいつまでも心にとどめておく』 ために歌いたいと・・・。 

 ある晴れた日に かわいい坊や(いずれも「蝶々夫人」より)

 死を賭した蝶々夫人の愛。海を隔て信じて待ち、やがて歓喜と絶望の再会。そして死をもって終わる愛。その切ない想いは坊やすなわち夫人の息子に託される。主人曰く 『 絶唱・・・心がちぎれるように胸を突き上げられた。この曲を歌いつづけてきた彼女にして初めて表現し得る心か・・・』。

 「愛と死と戦争と平和と・・・」。客席には女性が圧倒的に多く、第一部の休憩で立ち上がった人々の多くが目にハンカチをあてている光景が印象的であった由。入り!はホールの7~8割というのが主人には残念であったようだが、主催者によれば 『ソロでこれだけの観客が入れば大成功』らしい。

 

  68年前の「花のまち」  現在の「花は咲く」

 「花のまち」は團伊玖磨さんの曲。戦後の荒廃した国土をみて 「美しい花が咲きほこる平和なまちにしたい」 との思いをこめてつくられた(1947年)。ラジオを通じて広く親しまれ、またNHKのラジオ「話の本棚」のテーマ曲としても使われた。お年を召された方には「希望を託した」懐かしい歌であろう。

 真っ白な雪道に春風かおる/わたしはなつかしいあの街を思い出す/叶えたい夢もあった/変りたい自分もいた/今はただなつかしい/あの人を思い出す/誰かの歌が聴こえる/誰かを励ましてる/誰かの笑顔が見える/悲しみの向こう側に/花は 花は 花は咲く/いつか生まれるきみに/花は 花は 花は咲く/わたしはなにを残しただろう
 
  夜空の向こうの朝の気配に/わたしはなつかしいあの日々を思い出す/傷ついて傷つけて/報われず泣いたりして/今はただ愛おしい/あの人を思い出す/誰かの想いが見える/誰かと結ばれている/誰かの未来が見える/悲しみの向こう側に/花は 花は 花は咲く/いつか生まれるきみに/花は 花は 花は咲く・・・いつか恋するきみのために

 さとうきび畑  約束

 風と畑と陽ざしの中・・・「ざわわ ざわわ ざわわ」とリフレインされるたび言い知れぬ哀しみが波のようにおし寄せる。平明な詩に突然・・・『あの日鉄の雨に打たれ父は死んでいった』そして『風よ悲しみの歌を海に返してほしい・・・風に涙はかわいても ざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは消えない』

 『その日 ぼくが石けりしてるとパパが家から出てきていった』に始まる「約束」は、一度ならず聴かれたと思う。急いで帰った坊やにパパは、ママが死そうだと言う。 『 お前は男だ 歯をくいしばり 耐えて行くんだ 頼むぞ』。坊やは、ママが死んでも泣かないとパパに約束する。

 しかし、ママが死んだ日、坊やは約束を守れず 『泣くなって言ったって 無理さ 無理だよ』と泣く。だがそのあくる年、『あの戦争で パパが死んだと聞いたとき 僕は その時 涙を堪えた 僕は その時 約束を守った』。この歌を歌う佐藤さんの目に大きな涙・・・そして会場も涙につつまれた。

  
 ロビーで販売された佐藤さんの著、CDは一部ではなく全額!チェルノブイリ・東北大震災支援に!

 わが母の教え給いし  ふるさと  アヴェ・マリア

 第二部最後はドヴォルザーク「わが母の教え給いし」。ジプシーの母親が娘にそそぐ愛、それは歌を歌いきかせながら育まれた。母の日にふさわしい佐藤しのぶさんから贈られた愛の歌・・・5年前がんで逝った彼女の母親と、そして彼女の一人娘への深い愛もこめられていたことだろう。

 圧巻のコンサートの本当のテーマは「アンコール」に凝縮されていた。熱い拍手に応えて登場した佐藤さんから客席に『いっしょに歌いましょう』と呼びかけられた歌は「ふるさと」。主人、2番途中から歌えなくなったらしい。そして戦争と大災害の犠牲となったすべての人々のために「アヴェ・マリア」。

 アンコールも終わりいよいよ佐藤さんが袖に消えようとした時、「ブラボー」の声とともに会場はスタンディングオベーションに・・・。佐藤さん、歩みをとめ、そしてまたステージの端から端に立ち、客席に向けてキス! 否! 口づけ!の嵐 「投げキッス」ではなく 熱いエアキス! 否! エア口づけ!

 佐藤しのぶ 「アメイジング・グレイス」 「アヴェ・マリア」



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閑話休題 ( Will You Be There? )

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 今日、お昼、庭に蝶々がやってきました。ひらひらと羽を閉じては開き・・・花に戯れていました。カメラを手にヨイショ!とジベタリアンしていると、私にも戯れはじめました。さて、ブログの更新が遅い!とお叱りをうけました。「?」が多いかもしれませんが、敢えて思うまま指先に従い書きます。



 私はいますか? どこにいますか?

 Sさんのブログで、或る女性の詩「おやすみの日」を知りました。虹を渡られた母の日の2週間前、彼女の日記に書かれた詩・・・その終連は 『 私はいますか? どこにいますか? 笑っていますか? 』。 一語一語がいま私の胸を駆け巡ります。時に静かに佇みます。ふいに大波のように砕けます。

 この詩をご紹介すると、或る人は『私達もまた周りの者に例えようもない悲しみを与える存在・・・心して生きましょう』、また或る人は『大切な日常がもう永遠に戻らない悲しみ。私たちは何をすればいいのでしょう』、そしてまた或る人は『霊魂となった自分を想像しているようで胸をつかれました』。

 マイケル・ジャクソン。こどもだった頃の彼、たとえば「Little Drummer Boy」を歌う彼が好きでした。大きくなってブレイクする彼とは逆にだんだん心が離れて行きました。しかし、ふと耳にした彼の 「You Are Not Alone」、そして 「Will You Be There」 が、今しきりに私のこころを叩きます。

   You Are Not Alone. https://www.youtube.com/watch?v=ito5ELbyyxs
   Will You Be There.  https://www.youtube.com/watch?v=CRqYVFr7sL4

 

 そして あなたは・・・どこにいますか?

 日本はいま何処に行こうとしているのでしょうか。比例区の得票率33%、全有権者に占める得票率17%、前回総選挙の得票より減らしながら議席の76%を占めた党が、いま日本の舵をとっています。「民意を得た」と、褒められた子どものように舌足らずの口吻りで 「 面舵いっぱぁ~い 」 と・・・。

 反省、謝罪・・・それは何のためにある行為でしょう。ただ物事のケジメでしょうか、終わりの儀式でしょうか、それとも精神の浄化でしょうか。できる時とできない時、できる人とできない人・・・いずれであれ良心を措き他人事のように粛々と為されるべきではありますまい、新しい始まりのためには・・・。

 国の行方を!などと、大上段に語るつもりはありません。空虚な反省の先に何が見えますか? 形だけの謝罪の向こう側に何を見ていますか? いまあなたの心に何が見えますか? 『 私はいますか? どこにいますか? 笑っていますか? 』。 そして あなたは・・・どこにいますか? 


                                       庭のモッコウバラもそろそろ・・・

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吾輩も猫である 98 ( 旧き良き友 )

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 動揺メールとCD受取り
 先日、或るメールが届いてからというもの、主人はかなり動揺している。PCに向かってぶつぶつ言いながら何やら書いていると、細君から「郵便が来てますよぉ~」。やや厚めの封筒を見ながら「この字は〇〇〇〇やな」と呟いたとおり、主人の旧友からのCDが同封されていた。気分転換にすぐ聴くのかな?と思ったら、主人そのまま抽斗にしまい、引続きPCで先刻来のメールに向かった。

 泣きが入る主人 漸くCDを聴く
 主人の呟きから、或る件について学生時代の先輩に訊ねたメールに対し、主人にはかなり心外な返信があったようだ。「それはないでしょ!」とか、「それは曲解というもんやで!」とか、遂には「カンベンしてくださいよ、そんなこと言うてまへんやん」などと泣き!が入っている。ひととおりボヤき、ひととおり返信して漸く先刻の8曲が収録されたCDを取り出し、カバーを眺めはじめた。

 

 吾輩には 格別のインパクト無し
 CDのタイトルは『聴きたい歌が無いッ/自分らで歌つくってん!』。曲の一つにその旧友の名がある。タイトルからかなり斬新な歌だと期待できる。主人、「おぉ、えぇやんか!」と聴いている。が、いっしょに聴いた吾輩としては、まことに僭越ながら「まぁまぁですな」の感想であった。主人には旧友への思い入れがあるか知らんが、贔屓目(耳)のない吾輩には格別のインパクトはなかった。

 主人の旧友が作詞した『だあれもいない』
 収録された8曲のタイトルは 1.『天空の夢』 2.『スタンダード・ナンバー~あの頃に戻って~』 3.『月ひとつ』 4.『キセキのタイミング』 5.『だあれもいない』 6.『どうもならない・・・感覚』 7.『居酒屋”せとうち”商い中』 8.『あなたといっしょにゆれましょう』。ただ、主人は、旧友の作詞した『だあれもいない』にかなり衝撃を受けたようではあった。

 なんという淋しさ・・・
 『めしを食っても/だあれもいない/お茶を飲んでもだあれもいない/テレビを見たって/夜が更けたたって/だあれもいない/おれのそばには/だあれもいない・・・便りするやつ/だあれもいない/電話するやつ/だあれもいない/さくら咲いた日/月かがやく日/訪ねてくるやつ/だあれもいない/俺が死んでも/生きてていても/気にするやつは/だあれもいない』。なんという淋しさ・・・。

 咳をしてもひとり
 主人は、郷里の俳人、尾崎方哉 『咳をしてもひとり』 を思った由。自由律俳句の究極の一句として知られるが、尾崎は東大法学部を出て大手生命保険会社のエリートコースに乗るものの突如、俳句三昧の引き篭もりの暮らしに入る。他に 『こんな良い月を一人で見て寝る』 『一人の道が暮れてきた』 などがあり、酒乱の果て42歳で逝った辞世の句は 『春の山のうしろから烟が出だした』。



 現役なきOB会・・・年々老化する筈なのに
 そんな或る日、主人は学生時代のサークルのOB会に行った。そのサークルは既に無くOB会は年々老齢化が進む。が、そんな自然の摂理に叛し?4年に一度の集いは、主人曰く『寧ろ激しく若返っている』由。確かに、入学年度毎にステージに並び自己紹介その他のパフォーマンスの写真を見ると華麗なる老化ではあるが、まぁ吾輩には 「無駄な抵抗」 「年よりの悪あがき」 にしか見えない。

 まるで青年の旅立ち?
 なお、冒頭の亡くなった友への黙祷では、さすがにみな厳粛かつしんみりした由。よみあげられた物故者の名に、いつの日か自身の名が連なる光景が重なったのであろう。しかし 写真の「栞」に描かれた絵手紙(OB作)にあるように、「太陽に向かって」「希望と夢を持って」「厳しい寒さの中で」「強さを秘めて」は・・・虹の向こうへではなく、まるで青年の旅立ちの様である。

 同期のささやかな二次会
 OB会が終わると、主人の同期5人でささやかな二次会。東京から参加した一人は奥さま連れの旅を兼ねて・・・。その奥さまがその日、誕生日と聞き、これまたささやかな誕生日をお祝いしあたりを憚るように超!小声で♪「ハピーパースデイトゥーユー・・・」と歌った由。隣の若者グループが、「おっさん、おばはんら、ようやるわ」のマナザシだったそうだが、ほんま、ようやる・・・。

 
                                   いずれも当日配られたOB会の「栞」より


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吾輩も猫である 99 ( 言葉にできない )

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   猫の仲間ではないけど ・・・

   主人の友の愛犬 ポー(ポコ)は ・・・
 

   2015年5月19日 未明 

   舞い降りた天使とともに 虹をわたり 天に昇った 


   ポーを愛してやまなかった主人の友のブログもコメント欄も ・・・ 閉じられた 

   たとえ閉じられていなくても 言葉にはできなかったけど ・・・ 



 
                                  
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吾輩も猫である 100 ( 閑話休題 「腎がんのメモリー」 )

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 怪しいアクセスが・・・
 先日、主人の旅行記サイトのメッセージ欄に怪しいアクセスがあった。このブログで「腎がんのメモリー」を読み、主人への連絡方法として旅行記サイトのメッセージ欄(非公開)を使いアクセスした由。手のこんだ手口だが、内容はきわめて真摯な依頼である。曰く 『腎がんの国際的なアンケートを行うに際し英語から翻訳された日本語は患者にとってわかりやすいか?などについて意見を訊きたい』。

 いい気なものだ・・・
 すべて匿名であり、そもそも個人情報に関することは訊かない!ということを確認して面談することなった。お互いの人相?や持ち物についてメッセージ欄で知らせあい、某日某時某駅改札口にて待ち合わせることになった由。主人、女性と知って案外わくわくしてたりして・・・。「ブログネタになるなぁ」なんて思ったりもして・・・。ま、いい気なものだが、改札口では「ひと目」でお互いを認識したんだと・・・。

 腎がんの治療にも生かされる!
 具体の質問内容は公開しない申し合わせゆえ記せないが、FDA(アメリカ食品医薬品局)の正式調査であり、世界の腎がん患者に同一のアンケートがとられ腎がんの治療に生かされる・・・とあらば主人ならずとも「意気に感じる」であろう。主人も問いかけに真摯に答えたそうだ。そして調査が終わると、調査員が合唱をされていることから、ひとしきり音楽論を交わしあったとは、やはりいい気なものだ。

  
  大相撲を見過ぎたかも・・・    猫背とは言え姿勢はビシッと!  細君の椅子が一番好きだ!

 今回100回を迎えたところで・・・
 ところで、おわかりのように本欄は今回をもって「100回」を迎え、それなりに感慨深いものがある。もともと不人気サイトながら、かなり飽きられていることも認めざるを得ない。何か格別の話題を提供てきるわけではないし、格別の才覚をもって綴れるわけでもないから、まぁそれはやむを得ない。主人も「おまえはやっぱり猫やからなぁ」と・・・。猫やから「吾輩も猫である」としてるやおま変化! ったく・・・。



 主人は主人で勝手なことを・・・
 主人は主人で、本日より荷の重い或るミッションを担うことになった由。まぁ事大主義の主人ゆえ、実は大したことではないと思うが・・・。いわゆる「職業」ではなく、月々の報酬があるわけでも毎日出勤するわけでもない。しかしライフスタイルは一変せざるを得まい。まぁ要するに、吾輩も主人もブログに向かう状況が難しくなったと・・・。ぜ~んぜん書かないわけではないらしいけど・・・うぅ~~むぅ~~。




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かんわきゅうだい 1( 緩話窮題 ) 「リニューアル」 

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 ご無沙汰しました
 20日程お休みしました。少しだけリニューアル(マイナーチェンジ)を試みたら、プロバイダーさん(goo)の事情でガラッと変わり元に戻らなくなりました 大きく読み易くなったものの、ミリ単位で写真を縮小・拡大・トリミングし、見出し毎に行数を揃えた過去ログの地味~な苦労はパァになりました。最新の「吾輩も猫である100」は校正しましたが、それ以上は無理かな(泣)

                                    

 次元がちがうけど・・・
 数日前、友人から絵葉書(下左)が届きました。川喜田半泥子の「時計草」と銘された茶器。先日、同期で会う予定の集いをパス・・・体調を心配しましたが、元気そうで安心しました。私の世代では、若いひと達がメールやラインに返信がないのを気にするのとは次元?がちがいます。シマジロウはと言えば、彼にとっての「細君」が一週間ほど不在でややご機嫌斜めなのもやはり次元がちがいます。

 

 紫陽花とてるてる坊主
 梅雨には紫陽花がよく似合います。花柄の帽子のように粋な紫陽花、陽光が射すと一段と艶やかです。それにしても雨、雨、雨・・・。2/7ほど自分の時間がなくなり、加えて雨で運動ができないことがストレスに拍車をかけます。QPのPC画のようにてるてる坊主でも飾りたいところですが、思い余って昨日は雨に打たれながら1時間余りスロージョギングに出かけ、鬱憤?を晴らしました。



 平和な日本でありますように
 暫く前、友人のわんこが相次いで旅立ちました。つい先日、友人の義父さんが急逝されました。か細い螢たちの舞に、一所懸命生きていた数々の命が儚くかさなります。戦争法案に関わる威圧的な主張・・・勇ましくも底浅く虚しい議論に吐き気を催します。お盆まで2か月余り・・・不整脈を気にしつつ愛するものたちとの再会を心待ちにしています。穏やかなお盆、平和な日本を迎えられますように!




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