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2014年から2015年へ ( 御礼ごあいさつ ) 

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 ブログを始めて1年3か月、2回目の年末年始を迎えます

 この一年、私にとってはびっくりする程たくさんの方がこの拙いブログをお訪ねくださいました。そして三十数名の方にコメントをいただき、とりわけ数名の方はUPするたびにコメントをくださり心から感謝しています。しばしば「励みになる」と言われますが、それ以上に・・・望外の歓び!でした。

 【SORAさん】 http://blog.goo.ne.jp/p-sora31
 腎がんの告知~手術、不安な心をかかえ訪ねたのが「SORAの腎臓がん日記」でした。コメントしレスをいただき、どんなにか励まされました。自身の体験も幾らかなりお役に立てれば・・・との思いからブログを始めました。SORAさんには及びませんが、SORAに太陽がある限り・・・。

 【讃岐おばさん】  http://red.ap.teacup.com/sanukiobasan2/ 
 出遭いは「4(フォー)トラベル」という旅行記サイトでした。トルコへの旅ではカッパドキアの洞窟ホテルが同じあったことからお互いに親近感をおぼえました(笑)。バルカン半島、エジプトなど旺盛に旅され、この年末年始は台湾にいらっしゃいます。

 【Anneさん】 http://blog.goo.ne.jp/eikor18mu 
 「猫と旅のアルバム」として、マンチカンの圭祐くんとの甘い生活?のほか、折にふれイギリス旅行(滞在)記もUPされ、イングランドのサッカー「プレミアリーグ」観戦記も・・・。

 【花世さん】 http://blog.goo.ne.jp/sebato 
 gooから「この方とお友達になられては?」と言う案内があり、まぁお節介サービスではありますが、私は案内を頂くと素直にお訪ねします。そんな出遭いから始まり、ブログ「日々日々日記」では山口の広いお庭の花や木々の素晴らしい写真を楽しませて頂いています。

 【michiさん】 http://blog.goo.ne.jp/mimiko501 
 前記「花世さん」つながりで出遭いました。たくさんのわんこたちとおつれあい一人と(当然!)山の中で暮らしていらっしゃいます。闘病されつつ絵手紙、パン作りなど旺盛にご活躍されています。コメントはいつもなかなかに鋭くタジタジとなりますが、そのタジタジ感が嬉しく・・・(Mではありません)

 【Rarudoさん】 ブログは特にもっていらっしゃいません。
 下記kumaさんつながり、私の出身大学の同窓でもありほぼ同時期に在学しました。そんなアイデンティティが妙に嬉しく貴重に思っています。シマジロウの大ファンで、シマもたいへん歓んでいます。

 【kumaさん】 http://blog.goo.ne.jp/isakuma_1954
 ブログ「kumaの腎細胞癌闘病記」にいつも圧倒されます。大変な日々を送られつつ仕事に精励されガンとも果敢に闘っていらっしゃいます、悲愴に!ではなく大らかに粛々と・・・。心から敬意を表します。

 【婆ちゃんねるさん】 http://blog.goo.ne.jp/tora-ba-chan1952 
 どんな出遭いでしたか・・・結構!タメグチのお付き合いをさせて頂き感謝しています。お孫さんの弁当作りはじめ、カナダのご親戚への日本のドラマのDVD送付などジャックのマメの木!(笑)

 【なでしこさん】 http://blog.goo.ne.jp/meisa313 
 前記婆ちゃんねるさんつながりです。山歩き、ダイエット?がご趣味で(笑)、自営業をされていたおつれあい「やまとくん」とのリタイア生活を満喫していらっしゃいます。ちっともダイエットの成果が出ないのは「幸せ肥え」でありましょう。

 【himiko&コーちゃん】 http://ameblo.jp/himiko3366/ 
 ブログは素敵なタイトルで「はからずもがんと暮らしぬ」。腎がん、乳がんの患者会活動に献身的に取り組まれています。14歳の愛犬コーちゃんとの日々などたいへん多彩な内容です。

 【リーのママさん】 http://blog.goo.ne.jp/libra15 
 前記himikoさんブログで設けられたチャットを訪ねたのがご縁で、私にはチャット初体験の洗礼となりました。広報紙のお仕事の傍らブログ「今日のお天気は」、どんなお天気か訪ねてみてください。

  

 【えりこちゃんさん】 ブログはもっていらっしゃいません。
 mixi、Fbつながりですが、もっとそれ以前のある方のHP掲示板以来10年余のお付き合いです。今春、おつれあいが東京に単身赴任され、えりこちゃんも琵琶湖畔と東京の半身?暮らしでいらっしゃいます。Rarudoさん同様、大学同窓です。

 【masahiroさん】 http://ameblo.jp/masa9433/ 
 「masahiroの腎臓癌闘病記10cm」のタイトルに示されるとおり、かなり大きな腎がんでいらっしゃいました(私の場合3cm弱)。しかしなんとまぁ若く明るいうたごえに・・・では「青い山脈」になってしまいますが(笑)、お仕事にも元気いっぱい取り組んでいらっしゃいます。

 【花水木さん(夢路さん)】 http://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014 
 現在の花水木さんのブセグは「世界に一つだけの姥花日記」。以前は「夢路さん」として別のタイトルでした。山の写真がいずれも圧倒的素晴らしい本格的な山歩き派でいらっしゃいます。

 【和さん】 http://blog.goo.ne.jp/kazukazu3800 
 いつも訪ねては心あたたまる「和さんちの日記~のんびり日常生活~」。おつれあいが昨秋、腎がんを手術されてから始められたgooブログは、私とほぼ同期です。

 【ママン~さん】 http://www.usamimi.info/~laulea/cgi-bin/mt/web/kidneycancer/ 
 「ある日突然 腎がんを告知されました。 心の動揺を綴っていきたいと思います」との言葉に目をひかれ訪ねたブログでした。

 【北親爺さん】 http://kitanonomijin.blog.fc2.com/ 
 比較的最近出遭った方で、リタイア後に東京から北海道に移住されました。北海道の季節の写真には目を奪われます。

 【マモエさん】 http://mamoe.exblog.jp/ 
 私の郷里、大山を眺望されるところにお住まいです。女性のブログには料理がよく登場しますが、料理専門誌で見かけるような素晴らしい料理・・・年下のおつれあいは十重二十重にお幸せでいらっしゃいましょう。

 そのほか、夢子さん、maryppmさん、メリル女さん、hanaさん、キッツさん、チコちゃん、てんさん、みぃさん、ゴンとモモさん、ひろりんさん、soramameさん、ぼんじんさん、マウフィーさん、きっつさん、まみまみさん、なーちゃんさん、TORAさん、aimacoさん、みぃさん・・・皆さん本当にありがとうございました。

 みなさま どうぞ良いお年を!? 
 あと数時間で2014年も終わり新しい年2015年を迎えます。平和で健やかで幸多い年でありますよう心よりお祈り申し上げ本年の〆のご挨拶とさせていただきます。どうぞ良いお年を!

  
【PC画はいずれも by QP】
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吾輩も猫である 81 ( 年頭所感 2014 )

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 謹んで新春のお慶びを申し上げます

 昨年の正月、吾輩はこう書き出している。 『やれやれクリスマスが終わったと思ったら今度は大晦日だの正月だの、人間というものはなんだかだ理屈をつけ・・・祝っては騒ぎ騒いでは祝う・・』。 この人間の特質はそう簡単には変わるわけもなく、主人一家の正月は今年も相変わらず!だ。

 ただ昨年と異なるのは元旦の大雪。お昼、年賀状をとりに郵便受けに出た主人、「正月らしいえぇ天気やなぁ」と言っていた。年賀状の返信などで書斎に引き籠った主人とともに吾輩は午睡どころか夕刻までまどろんでいた。と、主人、カーテンを開け「シマ!雪や!」と素頓狂な大声を・・・。

 主人、「こんなんで水戸の実家に里帰りしているお嫁ちゃんと〇〇ちゃん、帰ってこれるかなぁ」と心配顔である。吾輩には天敵の孫娘ちゃん、「もっと雪が降って新幹線が止まり帰って来ませんように!」などと言えば主人の逆鱗に触れよう。まぁここは密かに「内心の自由」としておく。

 そんな次第だが、結局は1時間余の遅れでなんとか我が家に孫娘たち無事ご到着。まぁ主人も細君も滅多に見せない笑顔で上機嫌とあらば祝着至極である。吾輩は非常事態宣言を発した上で自室に籠ることとする。皆々様におかれてはどうぞ幸多き良き年でありますようお祈り申し上げる。

 
      わが家の元旦夕刻の雪景色             今日2日お昼にはかなり溶けました

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吾輩も猫である 82 ( 新年 いつものように幕があき… )

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 キャット・イアー
 「キャット・イアー」と言うと、「猫年?そんな干支はない!」と。勿論、「猫年」ではない。猫の寿命は人間の概ね1/6分であるが、正確には猫は最初の1年で人間の二十歳に至る。その後は1年毎に猫は4年を加える。「猫の7歳=20+6×4=人間の44歳」と相なる。吾輩、すでに中年なり!

 生命哲学では・・・
 新しい年を迎え「また一年トシをとった」と嘆く人が多い。吾輩ら猫はキャットイアーにつき「また4年トシをとった」と・・・。そして新年を迎え早や1週間が過ぎた今、吾輩らには「早や1か月が過ぎた」わけだ。年をとるのが早い!と言うことは、生命哲学的には「一日一日が人間の何倍も濃密」なのよ。

  

 初詣は伊勢寺と天満宮に
 正月二日、主人の家に息子一家が集合。吾輩には実に身の縮む思いであったが、まぁ致し方あるまい。一家揃って写真を撮った後(吾輩にはモザイク無しか?)初詣に出かける。いつものように地元の伊勢寺(写真上左、三六歌仙の伊勢姫が居を構えた)と、そこから程近い天満宮さんにお詣りする。

 ネズミ男にしめ飾り
 写真(上右)には吾輩らを天敵と怖れるネズミ男が写っている。これは主人の郷里境港の妖怪通りにて主人が撮った。年末、例により介護帰省した折に妖怪通りに寄ってみたら、通りの総ての妖怪ブロンズに正月用のしめ飾りが施されていた由。やるもんだが、いつまでも妖怪頼みの町興しじゃなぁ・・・。

 狼狽、否! 蝋梅の蕾ふくらむ!
 息子一家は早々に去り三が日過ぎて漸く吾輩に正月が来た。元旦から二日らかけて珍しく大雪に見舞われた関西、三が日すぎると如何にも新春らしい陽光に恵まれた。吾輩、陽気にさそわれ窓から庭を眺めたら、おぉ!蝋梅の蕾が膨らみ始めたではないか!雪と強風で葉が散り俄かに目立ち始めた。

  

 今月の帰省(1/16~)にも 「同行せよ」 とは・・・嗚呼~
 先月、吾輩は厭々ながら主人の帰省に同行した。「雪道は危ないんちゃいますか?」と嫌味を言うと、主人「スタッドレス履いてるから心配すな!」。スタッドレスどころか蒜山も大山も雪は被っていたものの道はスイスイ・・・。が、年が明けて寒波模様の日々、さても今月の帰省はど~かにゃあ~。

  
  蒜山ひるぜん高原 (蒜山SAより)         同じく蒜山高原           大山 (米子SAより)

   【QPコレクションより】
  
        水  仙                 福寿草                 侘  助

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目次⑦ 「吾輩も猫である」 ・・・ 81~82

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  1. 「カテゴリー」の中に各々「目次」をつくりました。
  2. 各々にリンク(URL)が貼ってありますので ワンクリックで行けます。
  3. コメントいただいた方のHNを各々の項に記しています。

 

【 カテゴリー ・・・ 吾輩も猫である 】  2015.01.02~2015.01.07

81.年頭所感2015・・・ (2015-01-02)  
   新春ご挨拶と元旦の雪と息子一家の来訪
   <コメント> obasan_desuyoさん、michiさん、pukarikoさん、讃岐おばさん、花世さん、Anneさん、なでしこさん、リーのママさん、婆ちゃんねるさん、花水木さん、Rarudoさん、kumaさん
   http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/cb0ef2ddfcfbb50acbac781e0266dcb3

82.新年・・・いつものように幕が開き (2015-01-07)  
   キャットイアー、息子一家とともに初詣、蝋梅の蕾ふくらむ、今月の主人の帰省に「同行」命令。
   <コメント> pukarikoさん、リーのunknownママさん、michiさん、Anneさん、Rarudoさん、masahiroさん、mamehimeさま 否!himikoさん
   http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f5405887b60e3154baf66a65c783230a


【 目次⑤ 吾輩も猫である 01~40 】
http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4

【 目次⑥ 吾輩も猫である 41~80 】
http://blog.goo.ne.jp/00003193/c/35e30b96885fd1c06deb21446db34b33


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閑話休題 ( 権力批判はタブーか? )

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 沢田研二 「我が窮状」 サザン・オールスターズ 「ピースとハイライト」 
 3、4年前の沢田研二さん「我が窮状」。歌詞の『この窮状すくうために声なき声よ集え』の窮状!とは明らかに憲法第9条のメタファ(隠喩)でした。先の紅白歌合戦のサザン「ピースとハイライト」に政権批判だとの批判があります。事実そうでしょう、「極右」は英語で「high right」ですから。

 時の政権批判
 芸能人が「時の政権に批判的なことを語る」のは放送界でタブーとされています。が、時の政権というものはどの国であれ極めて強大です。権力を風刺しない歌・芝居・お笑い、権力に無批判なジャーナリズム・・・それらは社会主義国における権力に統制された芸能や新聞同様、存在価値はありますまい。 

 沢田研二 「我が窮状」
 https://www.youtube.com/watch?v=7qSXoq2ZZbw
 サザンオールスターズ 「ピースとハイライト」
 https://www.youtube.com/watch?v=CziB7vw6GMo 

 加山雄三・・・華々しいデビュー
 朝日新聞の「オピニオン」欄。8日は「逆境に学ぶ」として加山雄三さんが自身の生きざまを語っていました。両親が人気俳優、湘南育ちでスポーツ万能、ルックスも良く音楽はじめ多才な加山雄三さん、高度成長さなかの1960年代半ば、当時の若者の憧れと羨望を一身に浴びるデビューでした。

 ・・・負の歩み
 それから半世紀、彼は現在77歳にして往年のスタンスのまま全国をコンサートツァーしています。とは言え順風満帆な半世紀ではありません。叔父の会社が倒産、役員として30代で億!の借金を背負い、更に事故で再起不能を懸念される程の重症を負い・・・遂には自殺未遂に追い込まれました。

 ・・・辿りついた心境
 『責任はなんと言っても自分にあるんでね。なんでこんな目に遭わなきゃならないんだとヒトの所為にしてはダメです』 『自らに課せられた運命だから立ち向かうしかありません』 『本気で挑む中、去っていく人もいるけど力になってくれる人も現れる。その出会いが根底から人生を変えることだってある』。
 『東日本大震災など歴史的、国民的試練がつづくが、日本人は試練を乗り越えていくと信じたい』 『だけど逆境に打ち勝つ知恵やノウハウは日本人だけの財産ではない。世界に・・・手をさしのべ知恵を伝えていく。もはや工業製品を売って豊かになることだけが日本の役割ではありません』。


 
 総理の感想は・・・
 最大の工業製品「原発」のセールスにご執心の総理、加山さんの言葉を苦々しく思うでしょうか? 総理はサザンのコンサートで「ピースとハイライト」をナマで聴かれた由、NHK会長さんの「サザンはただワーワーって歌だから」なるご発言に果たしてどんな感想を持たれたでしょうか?
 
 風にふるえる緑の草原 たどる眸かがやく 若き旅人よ
 それは兎も角、加山さんの「旅人よ」が大好きです。歌いやすくオンチの私が余り音を外さず歌えます。岩谷時子さんの詩もいいですね。私の中に若き旅人の感覚が甦る気がいたします。様々なYou tube がある中、森山良子さんとのスローテンポのデュエットが一番・・・のお気に入りです。



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吾輩も猫である 83 ( 吉本隆明について )

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 吾輩、明16日から主人の介護帰省に同行する。で、主人 「シマ、なんか書いておけ」と気軽に言ってくれたものだ。こんな時は「読む気がしないしコメントなどさらさら書く気になれない」ような自己満足の一文を書くことになる。そう言や主人も自己満足ぽい閑話休題を書いてたよなぁ・・・。

 吉本隆明? 知らんなぁ・・・ え? 吉本ばななの父親? 

 主人の世代には「吉本隆明」の信奉者が少なくない。その訳を主人に訊くと、「さぁなぁ・・・」と生返事。どうやら主人は信奉者ではないと見た。「吉本隆明は、嫌いですか?」と訊き直すと、「好きも嫌いも彼の書を一冊も読んだことがない」のだそうだ。主人の世代でもそれが寧ろ大多数かもしれない。

 戦後史証言プロジェクト・・・吉本隆明の思想の軌跡 

 先夜、Eテレが「戦後史証言プロジェクト」として、軍国青年であった時代から亡くなる(2012年)までの吉本隆明の思想の軌跡を1時間半にわたり特集した。主人、関心ナシ!と思いきや、熱心に見ていた。訊くと「この歳になり同世代の多くが信奉した訳を知りたくなった」とは意外であった。

 吉本隆明は言う『私は徹底的に戦争を継続すべきだという激しい考えを抱いていた』 『死は既に勘定に入れてある。死は怖ろしくはなかった』 『反戦とか厭戦とかが思想としてあることを想像さえしなかった』。戦争遂行には『腑に落ちないところがあった』が、そんな自身の心情を曖昧にした、と省みる。

  

 「文学者の戦争責任」 「共同幻想論」

 やがて彼は「文学者の戦争責任」を著し高村光太郎らを烈しく指弾する。また「私生活を優先し政治に無関心な人々」を批判する丸山眞男の論陣に『実はまったく逆で、政治的無関心こそが戦後民主主義の基底をなす進歩だ』と丸山を逆批判する。吉本のこういうところに主人は「なんだかなぁ」かも・・・。

 『言語はコミュニケーションの手段ではない。根幹は沈黙だ』と無言の価値を説く。『国家は共同幻想』とする彼に、国を何とかしようなどという考えはない。戦時下で非転向を貫いた日本共産党の重鎮 宮本顕治を 『非転向も転向の一形態に過ぎない』と一蹴し、反代々木の人々の喝采を浴びる。

 『市井の片隅に生まれ育ち生活し老いて死ぬ・・・無数の人物』 も 『千年に一度しか現れない人物の価値と変わらない』と言い切る。しかし上野千鶴子は『自分が大衆の代弁者だ』と思い始めた吉本隆明に、「それは彼の妄想であり彼の足を引っ張った」 「その頃から吉本に関心を失った」と語る。

 

 反「反核」の科学主義者 

 意外に思われようが、吉本隆明は「反!反核」の人である。原発について 『地球の・・・破滅などと憂慮して見せることは・・・停滞以外の何物でもない』 『人類が積み上げてきた成果をたった一度の事故で放棄していいのか』 『今なすべきは完璧に近い放射線に対する防御策を講じることだ』と説く。

 以後、彼と袂を分かつ人が増え、上野千鶴子は醒めた表情で分析してみせる・・・「彼は天邪鬼だと言うこともあるし、(もともと東工大工学部卒で)科学信奉主義者ですよね。失敗を繰返しながら科学技術は進歩して行くんだ、と・・・。きっとそちら(反!反核)側に立つと予想してたらその通りだった」と。

 一方で上野は 「私など大学から給料を貰う身だが、彼は民間思想家を貫いた」 「戦後日本が全くオリジナルの思想家をもったことは世界に誇るべきこと」と評価する。主人、短歌の師匠の道浦母都子が、「私は給料というものを頂いていない。自分の腕一本で生きている」と語ったのを思い出した由。

 さぁ、取り敢えず書いたぞ・・・。吾輩、ロングドライブに備えてそろそろ寝るとするが、先日(1/12)、主人がぶらり訪れた京都:六角堂の仏さんでもご覧いただき、みなさんもおやすみなされまし。

 


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閑話休題 ( むかし男ありけり )

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 先夜のBS-TBSは「高倉健の伝説的ドキュメンタリー」として、檀一雄の足跡をルポした『むかし男ありけり』を放送しました。1984年に制作され、何度か再放映された有名な作品です。当時まだ40代の健さんの颯爽とした姿とともに、檀一雄の魅力あふれるドキュメントでした。

 壇一雄と 「リツ子その愛 その死」 
 檀一雄の 「リツ子その愛」 「リツ子その死」 は学生時代に読みました。心がちぎれそうになり、しばらく虚脱状態になりました。檀一雄の作品は私小説の典型ですから、「最後の無頼派」らしい破天荒な生き様に反感を抱く女性は少なくありません。が、それでも惹かれてやまない人物です。

 リツ子と太郎 その子とふみ
 「リツ子・・・」に登場する太郎は檀一雄と壇律子の子、そして太郎の妹は女優の檀ふみさんで、リツ子が亡くなった後、檀ヨソ子との間に生まれました。太郎は「父はもう結婚はしないと言っていたのに、見合いするとすっかり気に入って、すぐに、する!と」と、笑いながら語っていました。

  
                         リツ子 (壇律子)          ヨソ子 と 壇一雄 

 高倉健さん 生涯に唯一度の仕事
 ドキュメンタリーの案内役は高倉健さんにとって生涯唯一度!の仕事でした。その対象が深い交流のあった檀一雄、番組はそのポルトガル時代の足跡を辿ります。制作は健さんの郷里福岡のRKB毎日、ディレクターは辣腕かつ情に厚い木村栄文・・・。健さん、意気に感じたのでしょう。

 サンタクルス島の1年4か月
 大航海時代(15~17世紀)、ポルトガルは世界を征しましたが、今は隣国スペインとともに「欧州の辺境」になりました。檀一雄はその何処に惹かれたのか・・・ポルトガルのサンタクルス島で1年4月逗留しました。健さんらが島を訪れた時、檀一雄が島を去ってすでに12年がたっていました。

  
 サンタクルスの壇一雄記念碑                サンタクルス島の渚にて

 『落日を拾いに行かむ海の果』・・・壇一雄は「落日」に殊の外こころを奪われたようです。『美しいのは落日である。落日に続く夕焼けだろう。落日を追って断崖の上を走って・・・真っ赤に染まった太陽に追いすがると、やがて燗熟した火心がブルブル震えながら波の果てに沈んでゆく』(「火宅の人」より)     

 もう一人の壇一雄
 島の人々は・・・身のまわりを世話した女性も酒場の店主も客も市場の人々もみな檀一雄を敬意をこめて「先生」と呼び「わが友」と熱く語ります。檀一雄と同じように島に流れついたチェコの女性も高名な作家も彼への親しみを隠しません。小説家と異なるもう一人の檀一雄がそこにいます。

   
                     壇一雄が逗留したサンタクルスの家    家の管理人オデンツ

 モガリ笛 いく夜もがらせ 花ニ逢はん
 「モガリ笛」とは、檀一雄の病んだ「喉(気管)」そのものでありましょう。「花」には・・・檀一雄が見た小さな光を見る思いがいたします。心が地を這う日々、私は檀一雄のようには到底なれませんが、私も人生の数か月をサンタクルス島で・・・と、思うだけ!ですが、そう思わせる島であり人々でした。

 
                                   「火宅の人」はサンタクルス島で書かれた

 高倉健さんの一言で・・・
 壇ふみさんは、檀一雄が仕組んで女優にしたようで、厭がる彼女を半ば騙して撮影所につれだし主演の高倉健さんと顔合わせを・・・。「高倉です。よろしく」と挨拶する健さんにふみさんはたちまち魅かれ、高倉健主演「昭和残侠伝“破れ傘”」が檀ふみさんの最初の映画出演作品になりました。

 壇ふみさんにとっての壇一雄 
 番組には18歳、NHKの「連想ゲーム」に出た頃の檀ふみさんが登場します。ちょうどその時期が檀一雄のサンタクルス島逗留期と重なります。そして番組が最初に放映された1984年、ふみさんは父 壇一雄について『私にはいつもまっすぐな人でした。人間として父親として最高の人でした』と・・・。

 結婚しない理由・・・?
 ふみさんが思わず洩らした言葉 『母(ヨソ子)を見ていたら結婚したくなくなる、なんて母には言えませんよねぇ』。それは兎も角、檀ふみさんはいつも気になる女優さんでありエッセイストであり、写真を見ていると、そこには・・・変わってしまったふみさんといつまでも変わらないふみさんがいます。

  
    18歳の壇ふみさん           30歳の・・・             現在の・・・

 ドキュメンタリーをディテールにわたってなぞりたいところですが、いずれまた再放映されましょう。その機会がありましたらぜひご覧いただきたいと存じます。

 ポルトガルの音楽と言えば「ファド」、アナ・モウラ「眠りと夢のはざまに立ち盡して」
 

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旧いアルバムめくり・・・ミレニアム年「イタリアの旅」

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 このブログには旅行記として3年前の「リタイア記念トルコ紀行」、2年前の「バルト三国の旅」をUPしています。今回の「ミレニアム年 イタリアの旅」は、中身も写真も色褪せ旅行記としての価値はありません。単なる私史の一部にすぎないことを予めおことわり申し上げます。



 首を洗って~首をすくめて~胸熱く・・・

 私は、仕事の関係と飛行機嫌いが重なり「生涯!日本を出ない」筈でした。しかし息子が社会人になる年の春、『家族で海外に行くラストチャンスですよ』と妻に言われ重い腰を上げました。旅行プランも手続きもすべて妻にまかせ、出発の日を首を長くして、否、首を洗って?・・・待ちました。

 行先は、妻と息子が行った国を外すとなんとなくイタリアに決まり、関空出発の日(2000.2.6)を迎えました。それにしてもロビーから見たアリタリア機はいかにも古く「飛ぶのかよぉ・・・」。機内には行儀の悪い団体さんもいて厭~な感じでしたが、お蔭で離陸の際は「早く飛んでぇ~」気分になっていました。

 ミラノは濃霧に包まれ数m先も見えません。よく着陸できたなぁ・・・と。が、更に空路ヴェネチアへ。もうカンニン!と泣きを入れましたが、誰も聞いてくれません(聞くわけないか・・・)。また首を洗って、否!首をすくめて離陸・・・やはり濃霧のヴェネチアに着陸すると期せずして拍手が湧きました。

 空港からバスでローマ広場へ、更に運河をボートでホテルへ。この時、夜のヴェネチアを眺めながら『あぁ とうとうに海外に来たんやなぁ』と胸が熱くなりました。大袈裟な!と? いいんです、事実!そうだったんです。生涯来る筈のなかった海外、それもイタリアくんだりまで来たのですから・・・。

  
 ヴェネチアの玄関ローマ広場   街中至るところに大小の運河  石文化の国に木のアカデミア橋   

 ヴェネチア・・・よくぞ海の上にこんな大都市を! 

 翌朝はホテルから歩いてサンマルコ広場へ。依然として深い霧に包まれていましたが、『なんや知らんけど広いとこに出たんとちがう?』と話していたら、そこがサンマルコ広場でした。広場の多いヴェネチアでもドゥカーレ宮・サン・マルコ寺院・鐘楼に囲まれた最も絵になる有名な広場です。

 ドゥカーレ宮は、壁という壁に大きな絵がドゥカーン! 「〇〇の間」が並び、日本であれば「これ一枚あれば入場者が絶えない」ような大作がドゥカーン!と何十点もあります。宮殿に限らず名もなき教会にもティツィアーノの500号(一辺約3.3m)a)超!級の絵が普通に架けられています。

 広場に面したヴェネチアングラス工房を訪ねると、小さな花瓶に30万!の値札。ユーロではなくまだリラの時代、30万リラが2万円弱でした。更にゲーテも滞在中しばしば立ち寄ったというカフェフローリアンに。気取ってカフェテラスでカプチーノ!の予定でしたが、余りに霧が深く断念・・・。

  
  サンマルコ広場にて・・・寺院(左)と鐘楼(右)            小運河にそって散策    

 ヴェネチアでは車は使えず徒歩か船です。当然、歩いてまわりました。橋の多いヴェネチアで最も有名なのはリアルト橋ですが、イチオシは石文化の国の木製のアカデミア橋。ここで米国人夫婦に声をかけられました。日本も訪ねたそうですが、「錦帯橋も知ってる」・・・とは呉の軍人さんだった?

 島の突端のサンタマリア・デラ・サルーテ教会まで行くと眼前に大運河とアドリア海を頻繁に出入りする船が見えます。対岸にはサンマルコ広場の鐘楼も…。海を眺めながら「よくぞ海の上にこん都市を造ったものだ、それも日本で言えば邪馬台国の時代から営々と・・・」と、唸っていました。

 ルネッサンスの古都フィレンツェ

 ルネサンスの名作は何と言ってもウフィッツィ美術館(下右写真)。アグリッパ像が廊下に無造作に置かれていますし、初めて見たときは結構!ときめいたボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」、ダ・ヴィンチ「受胎告知」など、ここで「神聖なものを人間的に描く」ルネサンスの人間復興の意味を実感しました。

 ツァー定番の「土産物屋さん訪問」を脱け、「花の聖母教会大聖堂のクーポラ(円天上)」へ狭くて長いタフな通路を身を折り曲げて昇りました(下左写真・・・右上はクーポラに昇るチケット)。フィレンツェの景観は数百年にわたり殆ど変わらないそうで、屋上からの眺めはルネサンス時代の光景そのままです。

 クーポラは高さ107m。妻は高所恐怖症ですが、神様のご恩寵でしょうか、いつもと変わりなく・・・。カナダ人の女性と景観の美しさについて嬉しそうに語り合っていました。大聖堂の隣は「ジッョトの鐘楼」(下中写真)。クーポラよりやや低いのですが、クーポラを眺めるにはこちらがいいでしょう。

  
サンタマリア・デレ・フィオーレ(花の聖母)教会        教会と対のジョットの鐘楼        ルネッサンスの宝庫ウフィッツィ美術館  

 フィレンツェ市内に入る前に小高い丘「ミケランジェロ広場」から街を一望しました。ここと街中のシニョーリア広場のミケランジェロ作「ダビデ像」は模造品で本物はアカデミア美術館にのみ。普通、前からの写真が多いのですが、ダビデのGood-back!もバッチリ見ましたが(でもその写真はない・・・)

 アカデミア美術館でタビデ像以上に目をひかれたのは、ミケランジェロの制作途中の作品が幾つも無造作に置かれている光景でした。奈良の唐招提寺にもそうした制作途中の仏像がたくさん並んでいたのを思い出しました。こういう半製品?の価値とは如何様なものでしょうかねぇ・・・。

 F.アンジェリコ「受胎告知」のあるサンマルコ美術館は、アカデミア美術館のすぐ近くです。この絵はフレスコ(英語では"Fresh")画で、半乾の壁に描き乾燥とともに定着させた壁画ですからここでしか見れません。階段を上り踊り場に出ると突然!遭遇する「受胎告知」に立ち盡しました(撮影不可)

    
 シニョーリア広場のダビデ像(模造)前にて     アカデミア美術館の本物のタビデ像         ピッティ宮(パラティーナ美術館)

 宝石店が並ぶヴェッキオ橋(下右写真後方)。橋を渡るとGUCCIなどのブランド街に出ますが、この橋の内部には通路があり非公開の画廊になっています。なお、ここの橋にあるお店で、結局!何も買わなかった私達にデブっちょの女店主は「Strange people」と悪態をつきました。厭~な感~じ!

 ピッティ宮(上右写真:パラティーナ美術館)は、ウフィッツィほどではありませんが、有名な絵がゴロゴロ・・・。メディチ家の富の莫大さが窺われます。庭園も壮大で富豪好み、ワビサビなどという価値観とはおよそ無縁です。利休の嫌った豪華絢爛好みの秀吉、信長には恰好の庭園かも・・・。

 ピッティ宮の近くでランチをとりました。パスタはどのお店でもどんな種類でも美味です。食事が終わり覚えたてのイタリア語で「イル・コント・ペルファボーレ(お会計をお願います)」。なお、フィレンツェで泊まったホテルはかつて国会議事堂でした。こういうところがいかにも「歴史の街」です。

 
       大聖堂クーポラから眺めたフィレンツェ市街          ヴェッキオ橋(後方)の近くで 

 オルヴィエートは小高い丘の上にある城塞都市で、ケーブルカーで登ります。そこの大聖堂(下写真)がまた凄い! 200~300年かけて築造も・・・なお建築途上、未完の大聖堂です。キリスト教文化には気が遠くなります。イエスの血を拭った聖布が祀られているそうで、なかなか・・・。

 大きさのイメージとして下左写真の下方の人物と見較べを・・・。てっぺんまでは更に数倍あり、見上げていたら台風並の強風に危うく飛ばされそうでした。ここの地産ワインは小瓶1本2000リラ(120円)、店主が丁寧に包んでくれました。私「グラーツェ(ありがとう)」、店主「プレーゴ(どういたしまして)」。

 
             要塞のような小高い丘の上にあるオルヴィエートの大聖堂

 オルヴィエートを後にしてローマへ。バスの中でツァーの皆さんはよく寝てはりましたけど、私は車窓から見る美しい村や町、畑や果樹園、空と雲と山並み・・・に見とれていました。車内に流れていたグレゴリオ聖歌も・・・この朝ちょっとした家族内の諍いに荒んでいた心を癒してくれました。

 快晴のローマ、日本とまるで異なる空の深い青にはローマで最も魅せられました。コロッセオ(下左写真)ではスタンドから当時の檻を見下ろしながら、ここにローマ人が集い格闘(殺し合い)を見物したのか!と思うと鬱陶しく、一方ここが廃墟であった頃は猫の棲家だったとの話には寛ぎました。

 コロッセオからバチカンまでは歩きました。道傍にかつての英雄や芸術家の銅像が並んでいます。シーザー像さんとご一緒しました(下中写真)。更に行くとフォロロマーノ(下右)。が、なんたるちあサンタルチア、シェスタ(昼休み)で入れない由。シェスタは2~3時間・・・ノロロマーノ!と呟き諦めました。

  
     コロッセオにて            シーザー像と・・・        入れなかったフォロロマーノ      

 バチカンの壮大さには私も圧倒されましたけど、天正の少年使節団もキリスト教文化にさぞ驚愕したことでしょう。大聖堂のミサでは敬虔な信者さんが十字を切り床に口づけを・・・。聖堂の一隅にはミケランジェロ「ピエタ」像が白く美しく輝いていました。さすがにガラスで遮蔽されていましたが・・・。

 ローマ最大の収穫は折しも開かれていた「ダリ展」です。街を歩いていて偶々知りました。会場に入ってビックリしたのは廊下の折畳机!にぎっしり並べられたダリ作の紙細工。独特の造形の飛行機や船などがテキト~に置かれていました。勿論!ホンモノ! 「よくやるなぁ」と脱帽・・・。

 美術館にもトイレがないとは・・・。係員に訊くと、こともなげに「向かいのバール(喫茶店)で借りてくれ」と。まぁ仕方なくバールに行きエスプレッソを立ち飲み(椅子に座ると高くなる!)、トイレ代(1000リラ)を払いました。イタリア人って膀胱が大きいのでしょうか? え? 日本人が小さ過ぎる?

  
   バチカン前の広場にて     大聖堂のミサに向かう神父さん     「ダリ展」会場前にて

 カフェグレコ(下左写真)。1720年創業のヴェネチアのカフェ・フローリアンについで1760年創業、イタリア二番目の老舗カフェです。ゲーテ、スタンダール、メンデルスゾーンなど偉大なアーティストが訪れたほか、2000年にはデブと某医ご一家が訪れた有名なカフェにございます。 

 下中写真はスペイン階段の「裏」・・・表に較べるとさすがに観光客も少ないです。この近くにある有名な手袋屋さんに入りました。女店員さんがなんと日本語で「手を見せて下さい」と。手を一目見て手袋を数点並べ、「いかが?」。大きさも好みも実にピッタリの皮手袋を2点・・・お買い上げ~!

 数少ない写真をさがし記憶を辿りながら…の旅行記、もしお読み下さった皆さん、ありがとうございました。定番のトレビの泉で後向きコイン投げ(写真下右)もしましたので、もう一回行ければ、もっといい写真を撮りたいと思います。でも・・・行けるかなぁ。。。無理かもなぁ。。。

   
      カフェグレコ            スペイン階段の裏側           トレビの泉

 【旅行記一覧】 ・・・ カテゴリー「旅行記」総目次です。

 リタイア記念トルコ紀行(1~3) バルト三国の旅(1~3)
 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e

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吾輩も猫である 84 ( 「閑話」 にはなじまない! )

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                    わが庭の蝋梅は彩やかに咲いたが後藤さんの無念に心ちぎれる

 主人が「閑話休題」として書きたい由。が、主人 『いま“閑話”という言葉は憚られる』。 『だってそうだろ。後藤さんが殺されたと報じられている今、人の命について“閑話”などできん』。 『アンネ・フランクは一人でも、数百万のアンネ、そしてフランク家があった』。『誤報問題を機に大虐殺はなかったと言い張るどこかの国の世論も気になる』・・・ 斯くして筆は吾輩に託された。

  

 ドイツ(人)の光と影
 建築、文学、音楽などドイツは燦然と輝く文化、歴史をもつ。しかし僅か12年間の「ナチスの時代」によってドイツの栄光は地に堕ちる。確かにEU=欧州を支えるドイツの存在感は大きい。が、世界中の人々に、今なお心から愛されない、尊敬されないドイツとドイツ人。ナチスの罪悪を自ら徹底的に、それこそドイツ的完全主義で徹底的に反省してなお、わだかまりは消えない。

 BS世界のトキュメンタリー
 NHK「BS世界のドキュメンタリー」をご存じだろうか? 吾輩、主人とともに1月26日(午前0時~)から4夜連続放映された①「実録アイヒマン裁判」 (2011年フランス) ②「囚人番号A21688 ホロコーストを生き抜いて」(2013年イギリス) ③「ヒトラーチルドレン・・・ナチスの罪を背負って」 (2011年イスラエル&ドイツ) ④「アンネの家を訪ねて」(2014年オランダ)を視た。

 「ユダヤ人問題の最終解決」と言う大虐殺
 「ユダヤ人問題の最終解決」とはナチス流には「ホロコースト=皆殺し」である。アイヒマンは、ユダヤ人数百万人の収容所移送計画を指揮、戦後南米に逃亡したが15年後捕えられイスラエルの法廷で裁かれた(絞首刑)。人間を家畜のように貨車に積込み収容所に送るという非道な計画を担った人物は、戦争当時、主人の息子と同じ30代後半の親衛隊中佐だった。

 ヒトラーチルドレン
 ③「ヒトラー・チルドレン」は、ナチス幹部として有名なゲーリング、ヒムラー、ヘスの子や孫である。兄とともに避妊手術で種を根絶やしにしたゲーリングの娘、父親の非道を書に著し、自身はユダヤ人と結婚したヒムラーの息子。ヘスの孫はアウシュビッツを訪れそこでイスラエルの若者達に謝罪、ホロコーストを生き抜いた老人から『君がやったわけじゃない』と肩をたたかれ嗚咽する。

 各々の国 各々の人々 各々の言葉
 「アンネの家を訪ねて」はぜひご覧頂きたい。アムステルダムのアンネの家を訪れた世界中の人々の長い列に日英独露仏西葡中・・・各国版「アンネの日記」がまわされ同世代の少女が各々の国の書を手に各々の言語で朗読する。長い列にインタビューが入り、同じように隠れていたユダヤ人、収容所で生き抜いた老人、今ある人種差別・迫害に苦しむ人々・・・が各々ここに至る思いを語る。

     
     

 欧米のドキュメンタリーによりかかるNHKの良心
 ドイツ人青年は 『親、祖父母の代の過ちであれドイツ人として恥じる』 と言う。制作したオランダの放送局は、アンネ一家を命を賭して匿ったのもゲシュタポに密告したのもいずれもオランダ人であることを隠さない。人道に反する罪悪は容易に融けなくとも、歴史にきちんと立ち向かう国々・人々の名誉はいつか必ず恢復されよう。それにしてもNHKさん、欧米の秀作にばかりよりかかりすぎ・・・。

 ※ 2月3日~6日(各日午後6時~50分)BSプレミアムで①~④総て再放映されます。

  
  冬 の 杜                 木瓜の花               蝋 梅     【All by QP】

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閑話休題 ( 不人気ブログ特典 )

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                                             雪の蒜山(ひるぜん)高原

 【新春ドラマ「わが家」】 
 今頃になって録画を視ました。家を捨て出て行った父親を長塚京三、残された母、息子(向井理)、娘。なかなかいい味のドラマのいい場面・・・父と子が再会し、父親が息子に言います。『親孝行はもう十分して貰った。子どもはみんな三歳までの可愛さで十分親孝行している』と。いい台詞ですけど、これってジャン・ジャック・ルソー「エミール」のパクリ!です。エミールという子が大人になるまでを描く教育論、読み易い書ですから子育てママさんにはオススメです。

【ルソーの教育論「エミール」】
 子どもを保護し過ぎてはならない、大いに怪我して苦痛を知るべし☆都会は不!自然な場所、田舎の自然の中で育てるべし☆規則正しい生活を強いてはならない、自由にさせておけば自然に規則正しい習慣が見につく☆実際のことより言葉だけたくさん知るのは不!自然、言葉は特に教えなくともよい☆夜遊びは大いにさせよう、感覚が研ぎ澄まされるから☆最後にものを言うのは自尊心、他の子と比較してばかりでは自尊心は育たない☆ 今風にわかりやすく、面白いでしょ?

 【ブログの言葉】
 他の方のブログを読むと「素敵な言葉」にたくさん出遭います。みなさんなかなかの文筆家です。
 『(日本は)おばさんゼンとして生きる私には居心地がいい国です』。若い時は欧州をボヘミアンされていた方ですが、現在海外は封印?され、日本を二人ボヘミアン!なさっているようです。
 憧れのロンドンに三泊五日の弾丸旅行したアラフォーの女性、ロンドンに来て 『もうロマンチックが止まらない』。 つい張りきり過ぎて 『脳みそがエラー状態』。タイトルは 『旅の恥はかき揚げ丼』。

 【ブログのタイトル】
 ひときわ光るのは 『はからずもガンと暮らしぬ』。日本語の面白いところですね。これがもし 『たまたまガンになって暮らしています』では・・・。最新のガン情報もありますし、今日も愉しく読みぬ!
 『〇〇おばさんの独り言』って、ごく普通・・・。しかし勤めていた頃、「オバサン!って言ったらセクハラですから絶対!言わない」が強烈にイップットされましたから気安く〇〇おばさん!て言えません。
 『デブと某医』ですか? お医者さんと思われる方もおられ、最近は『デ某』と略しています。

 【他のヒトのこと】
 「三題噺」と言えば寄席の座興。女性ブログの「三大話」は手料理、花、そして亭主の悪口かな。料理は写真とレシピ付きで、さぞ大変でしょうね。なお亭主の悪口は、半ば・・・おのろけです。
 時々炎上するブログを見ます。他のヒトのことをあれこれ書いた・・・他のヒトから中傷された・・・と。 え? 他のヒトのこと書いたこのブログも炎上? それはあり得ません。炎上されるのは例外なく人気ブログ、ランキング上位のブログばかりですから。ここは不人気特典としてお見逃しくださいまし。

 【この季節の花(by QP)】

     寒 緋 桜        クリスマスローズ        寒 椿           柊 南 天

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吾輩も猫である 85 ( 主人のブロ友 )

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 吾輩なりの「ブログの読み方 愉しみ方」
 さて前回の主人の「閑話休題」。僭越にもヒト様のブログより引用、論評していた。取り上げられなかったmichiさんはじめ心外!に思われた方は少なくあるまい。で、少しだけ吾輩がフォローすることにした。まぁフォローと言えばフォローであるが、吾輩なりの「ブログの読み方 愉しみ方」である。

  
 
 ブログ『SORAの腎臓癌日記』 『SORAの小さな写真館』
 主人は2011年の夏に「腎がん」を患った。その延長線上で辿りついたSORAさんのブログは主人の心に灯をともした最初のブログであった。『・・・日記』は腎がんの貴重な記録であり患者の交流の場、そしてもう一つ、さり気なく素晴らしいのが『・・・写真館』、澄明で美しく豊かな感性にみちている。

 『好きだと思うもの 綺麗だと感じたもの せつないと思うもの 胸が熱くなるもの 素敵だと感じたもの・・・そんな一瞬一瞬』 『写真は私にとっての目であり心です/どんな素敵な景色に場面に気持ちに出逢うでしょう/どんな心震える感動を切り取ることができるでしょう』 (『・・・写真館』より)
 
 SORAさんのブログで出遭ったmint さん。主人の1年後に腎がんの手術を受けられた。病理の結果は 「63mm(第2期)の淡明細胞がん、転移ナシ」。が、術後3月検診で肺転移を告げられ、それから一年半、最後の日記に『私、死ぬ気がしないんですけど・・・』と記し、その9日後、虹を渡られた。 
 ※ 腎がんのメモリー9 「虹を渡ったmさんに」 
   http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/036a74bc16bf8e5f8afda96a0b7b82a8   

 ブログ『北親爺の独り言』
 なんと言っても写真が凄い!方がいらっしゃる。時々コメントいただく北親爺さん、リタイアされてから北海道に手作りマイハウスを建てられた。北海道の自然を写し撮りたい!のもその理由の一つのようだ。夕陽のサンピラー(下左) など滅多に撮れるものではなく流石!である(下右は美瑛:青池)。

 

 michiさんのブログ『一円相』
 拙コメント欄でお馴染み?のmichiさん。絵手紙を描かれ、絵心から生まれた「絵を見るポイント」はなかなか説得力がある。 『絵は文字以前のモノ。説明の絵ではいけない。自分の持っているすべてのモノを捨て去る。見栄、教養、物・・・シンプルにしていく。そうすると本物がそこに残る』。

 主人の家に二つの油絵がある。一つは主人の叔父の遺作 『わがふるさと風景』』 (下左)、もう一つは細君がデパートの展覧会でぞっこん惚れたジュウ・メイキ 『ポントワース風景』 (下右)。michiさんにご教示いただいた心眼で改めて味わった。 なお叔父の絵はタダ! ジュウさんの絵はン十万円也!

 

 【ジュウ・メイキさんが描いたパリ近郊の絵三点】
  

 折りにふれ主人と吾輩の愛読ブログをご紹介させていただく。なおあららさんの『久しぶり"デー"す』は前回の「閑話休題(不人気ブログ特典)」らしい。過分のお褒め、主人もさぞ羞しかろう。
  ⇒ http://blog.goo.ne.jp/asanotokino/e/62ce80f1bc241e5e96723b4ac695450f

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閑話休題 ( 受検そして受験の季節 )

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 半年毎の検査が迫るとあちこち体調が崩れ出します。検査の結果が悪くても案外!さばさばするものですが、検査前と検査後の診察まで・・・は絶不調になります。とは言うものの習性でスロージョギング&ウォーキングに・・・。此頃は日が長くなってきたのを感じます。

 公園で空を見上げるとジェット機の航跡。この時間この方角に!飛ぶのはもしかして 『イスタンブールから関空に向かうトルコ航空かな?』 なんて考えながら空に向かってパチリ!パチリ! 小さな子が「おっちゃん、なにしてんの?」。私「さぁなんやろなぁ・・・」。小さな子「もったいぶらんとぉ」。

 受験の季節ですね
 15の春、18の春、泣かされたましたワ、我ら団塊世代は・・・。あれ以来、満開の桜が厭になりました。今はメールで合格発表(なぜか「合否」発表とは言わない)ですけど、当時は「ゴウカクオメデトウ」は兎も角、「サクラチル」の電報ときたら・・・検診結果を待つ方がまだマシです。

 大学受験ではありませんからお気楽に解いてみてください
  1. 語学のセンスを問う問題です。
   (1) 便秘のときにドイツ人がよく言うセリフは?
   (2) 「水道」「ネズミとり器」を和製英語で言うと?(ご存知の方はかなりおトシかと・・・)
   (3) 仏語の「Comment allez vous?(コマンタレブ)」「Qu'est-ce que c'est(ケスクセ)」
     これを「吉本新喜劇」風に翻訳すれば?
  2. 国語に関わる暗号問題です。次の和歌から連想される野菜は?
     「草々の名は知らぬし花の名は知らぬらし花の咲く々々」
      ア) トマト イ) キュウリ ウ) ナス エ) ピーマン オ) レタス

 受験料・・・たくさん受ければ結構な額!
 受験に縁が切れてもう20年余たちます(勿論!子の受験から)。「閑話休題」にふさわしく受験について徒然に調べてみました。受験料(正しくは「入学検定料」)は、センター試験が結構!高くて18,000円、国立大の2次試験は17,000円。私学を受験する場合は概ね3~6万円。何校も受ければかなり!

 入学金と授業料
 で、めでたく合格、入学すれば、国立大学の入学金は282,000円、授業料(年)は535,800円、初年度納付金は〆て818,800円。某私学(文系)の場合、入学金20万円、授業料(年)80万円、諸経費を加え初年度〆て130万円、理工系はプラス30万円。私の頃より公私間較差は縮まりました。

 医学部の場合は・・・
 さらに高嶺?の私大医学部となると、私の地元医大の場合、入学金100万円、授業料(年)188万円、諸経費を加えると初年度〆て354万円、加えて医師国家試験までは6年間あり最低でも1600万円。普通のサラリーマンの家からはとても私大医学部に行かせることはできません。

 冒頭の問題・・・とりあえず標準的な?答
 1.(1) 「イッヒ フンバルト デル ウンチ」
   (2)  水道 「ヒネルト ジャー」  ネズミとり器 「バタン!チュートル」
   (3) 「こんばん 屁こくと ぶっ~」 「ケツくせぇ~」
 2.「トマト」が正解です。回文すなわち上から読んでも下から読んでも・・・。
    回文はよくまぁ考えると思うほど傑作がありますね。
   『内科では薬のリスクはでかいな』 『確かに貸した』 『カツラが落下』 『私負けましたワ』・・・

 【庭の花たち】
   

 【Wings to Fly】


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吾輩も猫である 86 ( 青春プレイバック )

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 主人の許に学生時代の友人からCDが送られてきた。40年余前、「卒業旅行」と称して能登を旅した時の声!の記録だ。主人、CDを聴き若き日々を振返り感慨に耽りながら当時のアルバムを開いている。まぁその気持ちを汲んでここにUPするが、吾輩の若き日の姿をまずはUPさせていただいた。

  
                       JR、否!国鉄金沢駅にて     駅近くの喫茶店で打合わせ?  

 CDにはシールも貼られているが、制作したのは送ってくれた人のおつれあいだそうで、主人「この場をお借りして深甚なる謝意を表する」と・・・。それにしても旅に結構大きなラジカセ(A4×厚さ約5cm)を持ち歩き声を収録するとは・・・まさか今日のことを予定したわけではあるまいに。

  
 金沢大学へ(金沢城内にある)        兼六園にて          武家屋敷「開かずの扉」前

 まずは金沢大学の同系サークルを表敬訪問。城内にキャンパス・・・が羨ましかった由。兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ三大名園なり。武家屋敷の「開かず扉」では偶々閂(カンヌキ)が外れていて、中へ・・・。歴史を汚す暴挙に大目玉を喰ったらしいが、今もなお「開かずの扉」だそうだ。 

  
   同期の友の家にて宴     能登金剛にて「おひけぇなすって」   岩を砕く日本海の荒波

 友人の一人が和倉(七尾市)の出身、一宿一飯のご厚情にあずかり・・・ご馳走ぜめで満腹×2なり。翌朝は能登巡りの定期観光バスにてまずは能登金剛へ。ここで主人、危うく冬の荒波に呑まれかけた由。もし海の藻屑と消えていたら・・・吾輩もここに居なかったと思うと、運命的なものを感じる。

  
    時国家(古民家)前        能登の最北「曽々木」海岸        並んでみると・・・

 時国家・・・どんな古民家だったのか忘れたらしいが、まぁそんなものだろう。押し寄せる波のほかには何もない曽々木海岸、途中、バスからこの地独特の千枚田を見かけた由。旅も終わりに近づきややしんみりしたのか、海岸に沿って横一列に並ぶ姿に一抹も二抹も・・・淋しさが漂う。
       
  
   輪島の朝市は雪の中・・・      もうモザイクはいらん!      吾輩一歳未満の青春!     

 定期観光バスの終点「輪島」の民宿に一泊。宿で同期の来れなかった友に「寄せ葉書」を書く。書いた文を書いた者が読み、それがCDに残っている。聴きながら笑い涙する主人・・・。翌朝は雪の中を朝市へ。お昼には金沢を経て京都へ。駅前の喫茶店で珈琲カップを盃がわりに乾杯! 【完】

  ・・・ 2/15~17日は不在(PC環境なし)につきレスできません。

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吾輩も猫である 87 ( 主人の留守に )

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 毎月の介護帰省、今回は主人一人で行き、吾輩と細君はお留守番ということになった。PC独り占めとなり、主人が日頃からブックマークしているブログやFbを覗いてみた。なかなか・・・珠玉の言葉にたくさん出遭った。猫がピックアップしてはヒトサマに申し訳ないが、まぁお赦し願いたい。

 なお写真左は、この2月の定例介護帰省で主人が撮った大山。すっきり晴れ渡っていないが、ここ数か月ではまずまず・・・の雄姿である。写真右は、「吾輩も・・・86」の若き日の吾輩をQPが描いてくれたPC画である。いつもながら素晴らしいのは吾輩の類稀な可愛さに拠るところもある。
 
 一生の膨大な記憶を断捨離
 このブログのジャンルの一つは一応「60代」と言うことになっている。花〇〇さんは“老い”について『ひとひとつ失っていくこと。何かを犠牲にしなければいけなくなるのが歳をとるということなのよ』。 忘れることも、或る意味、生きてきた膨大な記憶を断捨離して虹を渡る準備かもしれん。

 病院の土日曜日
 病気したり入院しなければわからない感覚・・・。おつれあいを介護された〇花さん 『冷たい足に体温が戻りあたたかい。“治る”と直感する』・・・歓びが伝わってくる。サラリーマンには待ち遠しい土日も、『土日は診察も無くナースの数も少ない。重い患者ほど不安な二日間、付き添っていて正解!』。

 病と闘う友のためにも
 がんはもはや不治の病ではなく、数年前には救えなかった命が救えるようになる、そんな医学のめざましい進歩を実感できる世界。患者会のお世話をされている hi・・さんは、逝った病友について記している。 『先立った戦友が見れかった未来を、私達は見て、感じて行かなければならない』。

 まずは自分が戦場に!
 あ〇〇さんは、好戦的な気勢をあげる政治家に『美輪明宏さんが言ってましたよ。そんなに戦争したければ国会議員のあなた達がまず戦場に行きなさい。その次は自分達の子どもと親族が戦場に行きなさい、と』。そう言やブッシュ元大統領は父親が大統領の時、そのご威光で徴兵を免れた由。

 世界に範たる憲法
 このブログのカバー写真「大山」を日々仰ぐma・・さんも、『日本は戦後、“たった一週間でつくった憲法”のお蔭で、その後70年、戦争という名で殺戮をしませんでした』。“米国のお仕着せ憲法”などと揶揄される日本国憲法だが、基本的“猫”権がない点を除けば、世界に範たる憲法なり!

 他にも・・・書き切れません!
 PPMコピーバンド「ハート・ストリーム」のmary・・・さん、『褒め合うって良いことだと思いますよ。この年になると誰も褒めてくれませんので・・・。お互い、褒め合って気持ち良くなりましょう』。
 旅先(ロンドン)で夜遅く道に迷ったpe・・・さん、『自分の脳内のGPSが完全に誤作動していた』。
 リー〇〇さんは『豆は寒い冬を過ごして始めて丈夫に育つ。苺だって寒さに当たらないと実を付けない。だから辛いことに遭うことは人生に決して悪いことではない』と自分自身に言い聞かせる。
 『毎日毎日何を作ろうかと考えるのが大変!でもそれって頭の体操になるみたいですね。明日は何を食べようかな・・・?』は、ダイエットに励むなで〇〇さん。

  人は時代とともに 時代は人とともに・・・。 良き時代であれと祈りつつ 中島みゆき「時代」を!


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吾輩も猫である 88 ( 英語の歌を関西弁に訳してみた )

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 主人、「英語は苦手だ」と言う。だからと言って仏語や独語が得意だということでは勿論ない。早い話、「勉強が好きじゃなかった」ということだろう。そんな主人に「Google」などの翻訳機能は、直訳的な酷いものではあるが、それなりに役に立つもののようだ。

 吾輩ら猫にすれば英語であれ仏語であれ所詮は!人間語、どぅってこたぁない。そこで、主人がPCの助けを借りて日本語訳した英語の歌があるので、吾輩はそのサワリを「関西弁」に翻訳してみた。同じ関西弁でも実は多様なのだが、まぁ関西弁のつぎはぎ翻訳と言うことで・・・。

 【エルトン・ジョン「Your Song」】
 『ホンマのところは、ちょっとけったいな話やと感じまんにゃ。ワシ、心に隠し事できる人間やないさかいな。そもそもワシは、子どもやないけど、お金をようさん持ってる人間やない。でも、もしも!やで、もしも二人一緒に暮らせるおっきな家があったらなぁ・・・とは思てまんねん。』

 【サイモン&ガーファンクル 「The Sound Of Silence」】
 『"暗闇"はん、旧いお仲間はん、こんちは。もいっかいあんさんと話しにきてしもた。なんでや言うたら"幻"がそ~ぉっと忍びよって、ワシが寝てる間にその種!を蒔いて行きよった。その"幻"がワシの脳天にもぐり込み、今もまだ"静寂という音"になってワシん中にじ~っと居座ってまんにゃ。』



 【ビートルズ「Hey Jude」】
 『"ジュード"はん、そない気にすなや。悲しい歌かて機嫌よう聴けることがあるさかい・・・。彼女のハートをつかみはったら、だんだんに機嫌ようならはるやろ。怖れんでもえぇがな。彼女をゲットするために生まれてきたんや思て、彼女をグッと抱きしめなはれ。なんもかもうまく行きまっせぇ。』

 【ロッド・スチュアート「Sailing」】
 『ワシ いま船出するところでんねん。はい、海を渡り生まれた処めざし帆を立てて! 荒れ狂う波を突っ切りあの人といっしょに自由になりまんねや。 翼を思きし広げ飛び立ちまっせぇ。大空を翔く鳥のように 雲を飛び越え あの人といっしょに自由になりまんねやわぁぁ~。』


 
 【シマジロウ後記】
 それにしても、こうやって頭の中で関西弁に置き換えて彼らの歌を聴くと、み~んなケレンミ(外連味)たっぷり・・・。エルトンは、この歌を歌い出した頃はほっそりしたヤサ男だったのに、今や「L豚ジョン」。主人は数年前、サイモン&ガーファンクルの大阪公演を聴いたらしいけど、すっかり中年、否!老年太りしていたそうな・・・。「Hey Jude」はビートルズ後期!の代表作、なんてことない歌が妙に哲学的に聴こえるのが不思議だ。ロッドの「Sailing」、英国版「船頭小唄」だが、まぁケレンミ!の代表格、エルヴィスとえぇ勝負! ママス&パパス「California Dreamin」もUPしたかったけど、またつぎの機会に・・・。


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閑話休題 ( ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花 )

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                                                美山(京都府)冬景色

 アメリカ人外交官が芸者さんに恋をして・・・
 太平洋戦争の始まる少し前、米国大使館の若い外交官が新橋の明るく美しい芸者さんに恋をしました。外交官は、何度も料亭に足を運び・・・やがて当時の常識では「高い壁」を乗り越え二人は結ばれました。NHK朝ドラ「マッサン」とは逆に、外国人の夫と日本人妻の・・・幸せな日々が始まりました。

 日米開戦で米国へ移るも・・・
 1941年12月8日、日本の真珠湾侵攻とともに二人の母国はお互いに敵国となりました。当然、大使館員には母国への帰国命令が下ります。「マッサン」の妻エリーさんは何とか日本にとどまれましたが、米国外交官の妻となった彼女は、夫と共に米国に向かうほかありませんでした。

 夫の事故死 母子で日本人収容所へ
 米国で新しい生活が始まり、子供も生まれました。が、不運にも夫は交通事故で不帰の人になりました。英語も喋れない敵国日本人の彼女は収容所へ。同じ敵国でもドイツ人やイタリア人は収容されませんでしたから、言わば人種差別 ※でした。 ※ 後に米国政府として正式に「差別」と認定、「謝罪」しました。


                                                【All paintings by QP】
 終戦・・・困窮・・・母親の病死・・・孤児院へ 
 戦争の終結とともに母子は収容所から解放されました。しかし生活は困窮をきわめ、彼女は過酷な労働と貧困から結核に罹りました。入院して間もなく彼女は10歳の息子を遺して亡くなり、息子は孤児院に引き取られました。しかし安らげる居場所ではなかったのか、十代半ばで孤児院を出ました。

 禅体験を経て日本へ 
 青年期を迎えた彼は、ある日、街で「禅」道場の看板を目にし、魅入られるように道場に入りました。短い体験でしたが、彼には生まれて初めて「心からのやすらぎ」を覚える体験でした。自分が求めていたものに出会った喜びにつつまれた彼は、やがて心の命ずるまま日本に旅立ちました。

 永平寺の禅僧に・・・
 「留学」ではありません。禅僧となるために・・・まっすぐ永平寺に向かいました。彼の異色の生い立ちと経歴、そして混血とは言え白人の色濃い容貌にマスコミの取材が殺到します。いわゆる「取材」は断っていた彼ですが、或る日、名の通った記者からいきなり「禅問答」を挑まれました。

 記者『人間が生きている、とは如何なることか?』。暫く瞑目した後、彼は『ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花』と・・・。運命に翻弄された彼が心にいつも見ていた光景だったのかもしれません。
 以上・・・日記をめくり6年前の2月、或る討論会で聴いた話よりここに記しました。

 河島英五(生きてりゃいいさ)


 【お詫び】PC画がなぜかUP出来ず、2/28 01:10 迄に訪ねられた方には申し訳ありませんでした

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腎がんのメモリー ( 術後3年半検診 ) & 京都御所

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                                            京都御所の梅と樹と空と

 術後3年6か月検診
 2011年に腎がんを手術しました。初期でも悪性度の高いがん細胞が含まれていたため、当初は3月毎に胸腹部CT(時に骨シンチも)、昨夏から6月毎検査になりました。今日がその検査日で、予約は9時半ながらその前に採血採尿があり8時半には病院へ(下写真左)。なお結果は一週間後です。

 きょうは検査もスムースに・・・
 群馬医大の酷い手術が報道されていますが、この大学附属病院でもたまに杜撰な※検査をされます。でもこの日は円滑かつ丁寧な検査でした。これ迄は看護師さんが造影剤を注射すると即CTを撮っていましたが、放射線科の医師が「注射針を確認します」と安全確認が徹底されていました。 
※ 腎がんのメモリー4 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/0f2ec57d52878c2db201e657d4a525a6

 ぶらり京都御所
 10時過ぎには会計も終了。なんとなくまっすぐ帰る気になれず「久しぶりに御所でも散策しようか」と・・・。御所には外の御門と内裏の御門とがありますが、まずは外の清和院御門(下中)をくぐりました。平日で殆ど人影はありません。入ってすぐに土御門第跡(下右)、藤原道長の邸があったところです。

  

 蛤御門の変
 外の御門で最も有名な蛤御門(下左)、烏丸通に面しています。烏丸通から御門を眺めるとこんな感じ・・・(下中)。「蛤御門の変」では、守る長州に薩摩が外から一斉に銃撃しました。門にその時の弾痕もありますが、端折ります(笑)。御所の玉砂利は歩きにくいので、こんな「わだち」(下右)を歩きます。

  

 内裏の御門
 外の門を入ると内裏との間に広い玉砂利の道があります。東には黄金まばゆい日御門(下左)。南正面には建礼門(下中)、両陛下と外国の元首しか通れない格式の超!高い御門です。さらに行くと十字路の真ん中に「清水谷家の椋(むく)」(下右)と呼ばれる樹齢300年、周囲4mの大木があります。

  

 梅は咲いたか 桜はまだかいな・・・
 外門と内裏の間はすべて「御苑」、これから紅白梅、桃、桜が眩ゆいばかりに咲き誇ります。御苑には様々な樹木も多く、中でもこ周囲5mのこの「榎」はなかなかの存在感です(下左)。梅は苑内至る処にありますが、西南側に集中しています。梅が終わり桜が未だ・・・の時期には桃が見頃となります。

  

 御苑にも蝋梅があったのだ・・・
 これまで何度も御苑を訪ねながら、蝋梅(下左)に気がつきませんでした。わが家の蝋梅はもう枯れましたけど、御苑には際どく・・・残っていました。御苑の小川(下中)では、これから暖かくなると子どもが水遊びをします。拾翠亭(下右)は旧九条家の茶室、堺町御門(外の南の門)から入ってすぐです。

  

 閑院宮邸
 閑院宮邸は一般公開されていますので、入ってみました(実は初めて入りました)。お宝が結構無造作に陳列されているのはちょっとイタリア式・・・(笑) さすがに庭園は広く気持ちが良かったです(下左)。中庭(下中)もなかなか雰囲気がありました。壁の水彩画(下右)も春らしい、優しくあたたかな絵でした。

  

 「腎がんのメモリー」と言いながら殆ど京都御所のガイドのようになってしまいました。検査結果は一週間後ですので、あらためて記したいと思います。腎がんの仲間の皆さんしか関心はないでしょうけどね。でも二人に一人ががんになる時代、まさかの時のためにお目通しください(笑)


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腎がんのメモリー16 ( 術後3年半検診Ⅱ ) & 女子中学生のロンド

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  検査のあった3日は良いお天気でしたが・・・    結果を告げられた10日は吹雪いていました

 診断を告げられる日は・・・
 術後検診の結果を待つ身に「一週間は長いなぁ」と感じていました。が、当日の朝は「一週間は早いなぁ」と・・・。時間の感覚とは斯くも心理的なもののようです。そして家を出る時、「あっ、診察券忘れた」「あっ、財布も」と二度引き返したのも心理的・・・いや、それはただの慌てものでしょうね。

 診断は・・・いつもながら緊張します
 予約の10分前に呼ばれ・・・ 医師「お待たせしました」。私「いえ、予約よりも早いので、びっくりしました」。医師「いゃ、口癖なもので・・・」。いつもはCTの結果から説明がありますが、なぜか採血・採尿から始まりました。医師「基準外の項目もありますが、特に問題はありません」。

【主な採血結果】
T-BIL(ビリルビン)・・・基準値 0.2~1.0 に 1.70(前回 1.56) 一貫してH。医師「体質でしょうね」。
T-cho(総コレステロール)・・・基準値 125~220 に 240(前回 185) 基準値が低すぎると言われています。
LDH・・・基準値 114~243 に 193(前回 194) 心・肺・腎・肝臓の炎症や悪性腫瘍で高値になります。
AST(GOT)・・・基準値 12~35 に 30(前回 27) ALT、ALP、γGTと同様、肝機能の数値(総て基準内)
CRE(クレアチニン)・・・基準値 0.3~1.1 に 0.98(前回 0.88) 腎機能を測る重要項目で、悪化傾向です。
e-GFR・・・基準値 60以上 に 59(前回 67) CREと同じく腎機能を測ります。20未満は要透析。
【主な採尿結果】
RBC、HGB、HCT・・・赤血球ヘモグロビンの状況を示し、総て基準よりやや高値。水分摂取不足?
Lymph%・・・基準値20~51 に 40 (前回 28)  免疫力の指標。30超でがん細胞がほぼ死滅する由。

 肝腎のCT検査・・・悪い結果は後で言う? 
 刑事裁判で被告人に悪い結果を告げる場合、裁判長は判決理由の説明から入り「主文」は最後に言います。とすると、CTの結果を後まわしにしたのは・・・? と固唾をのんで言葉を待つと、医師「次は9月に検査しましょう」。私「あの・・・CTは?」。医師「問題ありません。再発も転移もありません」。
 
 お昼はお祝いのランチを妻と・・・
 お昼は、京都から地元の私鉄駅に戻り妻とお祝いのランチに・・・。「身土不二」というお店の限定20食の御膳です(下左)。写真ではもう一つ!に思われるかもしれませんが、これが総て本当に美味しいんです。11時半の開店に既に列が出来ていましたけど、吹雪のお蔭で大丈夫でした(笑)

  

 バンジーもシマジロウも・・・
 お店を出て暫くすると吹雪はやみ陽が射してまいりました。その日の心境を現しているような・・・と言えなくもありませんが、変化の激しいお天気ではありました。帰宅すると玄関先のパンジーが結構!アピールしていました(上中)。玄関に入ると、シマジロウが心配そうに?お出迎えしてくれました(上右)。

 ロンドを組んで まるでデモをするように
 前後しますが、帰りは4kmを自宅まで歩きました。途中、瀟洒なお邸の、空に枝を高く伸ばした紅梅に見とれました(下左)。そして前方から懐かしい「若いってすばらしい」の歌が・・・。もう半世紀も前の歌なのに、歌っているのは女子中学生(下右)。7人がまるでデモをするようにロンドを組み・・・。

 

 若いってすばらしい!
 嬉しくなって小さく拍手すると、「こんにちは~」と挨拶してくれました。通り際に、わぁ~っ!と笑いを弾かせた後、また腕を組んで歌い出しました。後姿ならいいかなっ!と写真におさめました。 ♪あなたに笑いかけたら/そよ風がかえってくる/だからひとりでもさみしくない/若いってすばらしい・・・

♪夢は両手にいっぱい/恋もしたいの/やさしい気持ちになるの/ああ誰かがわたしを呼んでいる
♪あなたがいつか言ってた/誰にでも明日がある/だからあの青い空を見るの/若いって素晴らしい

 槙みちる「若いってすばらしい」


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吾輩も猫である 89 ( 別れの季節 )

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 吾輩は「別れ」の淋しさに縁がなかった
 『3月は別れの季節』と・・・。なるほど卒業・退職・転勤など3月は別れが多い。が、俗世間に関与しない吾輩は別れに縁がない。そもそも吾輩は父猫が誰かも知らず、母猫の顔も憶えていない。兄弟たちと一緒にいた記憶は微かにあるが、「別れ」の意味も知らず、淋しさにはとんと縁がなかったのだ。

 Out of sight,out of mind 
 『去るもの日々に疎し』 とは、主人によれば 「言い得て妙」 の由。含蓄のありそうな言葉だが、英語では 「Out of sight,out of mind」(会わなきゃ忘れる) と至ってストレートな表現。「別れ」とはセンチメンタルな余りつい!含蓄を漂わせてしまうが、英語の合理的な表現はさすが!である。

 良い別れをすれば・・・
 主人の敬愛した先輩は、しばしばパブロ・カザルス(チェリスト)の言葉 『良い笑顔をすれば良い笑顔が返ってくる。良い挨拶をすれば良い挨拶が返ってくる。良い仕事をすれば良い人生が待っている』 を引用して挨拶したそうだが、 『良い別れをすれば良い出会いが待っている』 は如何?

 美しい別れ・・・
 そこへ主人、大真面目に「良い別れとは?」と吾輩に問うてきた。むむっ! 言葉に詰まるや内科医! 良い別れとは何ぞや・・・。恋人たちにとって、夫婦にとって、良い別れとは? 難しい! 難しいのでこの際「美しい別れ」としたい。が、今宵の主人はひつこい! 「美しい別れとは何ぞや?」と・・・。 

 虹の向こうでは・・・
 蓋し別れとは本質的に悲しいものである、と考えつつ・・・考えることはやめにした。人それぞれに様々な別れを経て誰もがいつか虹をわたる。吾輩ら家猫の平均寿命はおよそ15年、既に吾輩も半生を経たことになる。虹の向こうでは未だ見ぬ父(猫)に会えるだろうか、母(猫)に再会できるだろうか・・・。

 スコットランドの血 スコットランドの猫
 NHK朝ドラでエリーさんの歌う「蛍の光」に心がふるえた。そして偶々聴いたロッド・スチュアートの歌う「Auld Lang Syne」にも心が揺さぶられた。ロッドにはスコットランドの血が流れている由・・・。民謡とは地と血から生まれ出ずる歌だと、改めて思った。スコットランドの猫にも会ってみたいなぁ・・・。

 【ロッド・スチュアート・・・Auld Lang Syne】


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「閑話休題」 ながら 「閑話」に非ず ( Stand By Me )

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 御所の枝垂桜・・・やがて華やかに咲き誇りますが、その一瞬の時季のほかは巨人の骸骨の光景

 青春フラッシュバック
 ボッ!ボッ!ボボボンボン・・・くぐもった低音でイントロが響くと自然に身体が反応して揺れます。そのイントロに心が揺り動かされ青春の様々な情景がフラッシュバックし現在に甦ります。あの時代、この曲はいつも傍にあり、まさに Stand by me.でありました。

 たとえ世界がどう変わろうと・・・
 「スタンド・バイ・ミー(Stand By Me)」 で誰しも連想するのは30年ほど前にヒットした同名の映画。『たとえ世界がどう変わろうと君が傍にいてくれれば、僕はなにも怖くない』。 ただそれだけの言葉が繰り返し歌われるこの曲は、実は半世紀以上も昔、米国ニューオリンズで生まれました。

 When the night has come and the land is dark. 夜が訪れ あたりが闇につつまれ
 And the moon is the only light we see. 月明かりしか見えなくても
 No, I won't be afraid.Oh, I won't be afraid. 怖れることはない 何も怖れることはない
 Just as long as you stand.stand by me. ただずっと君が僕の傍にいてくれたら・・・

 77歳 喜寿に・・・
 ベン・キングが1961年に発表しビル・ボード誌トップに躍り出ました。1975年にはジョン・レノンのカヴァーにより再びブレイク、更に1986年に公開された映画の主題曲として「不朽の名作」となりました。そのベン・キングも今年77歳、日本風に言えば喜寿を迎えました。

 東北の被災地へ
 ハリケーン被災地でもあるニューオリンズで義捐金を募るキャンペーンを経て、彼が東北の被災地を訪れる様子をTVで見ました。彼が歌う「Stand by me」に子どもたちの目が輝いたのは勿論ですが、その子たちの親や祖父母世代もまた目を輝かせて聴いている姿が印象的でした。

 どう「Stand By Me」であるべきか・・・
 それにしても大震災から4年。原発はじめ何がどう変わりどう復興したのでしょうか・・・。政府はじめ「力のある人々」は各々一人ひとり被災地にどう「Stand By Me」であったのでしょうか・・・。そして私たち一人ひとりもまた今後どう「Stand By Me」であるべきでしょうか・・・。

  Stand by me



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