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Channel: デ某の「ひょっこりポンポン山」
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吾輩も猫である 92 ( なにもない日常 )

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 なにもない日常
 『とり敢えず今が潮どき辞めるとき12月26日はサラバ記念日』。そう詠んで主人がリタイアして3年余、さすがに此頃はなにもない日常に飽いている風情だ。「なにもなければいいじゃない?」と言うと、「それとは意味がちがう」んだそうだ。細君も「こう一日じゅう家に居られたんではねぇ」と、やや不満顔。さあ主人、ど~する?

 自然体とは・・・
 『コスモスはにんまり風に甘え居り自然体とは無頼なること』。主人が敬愛する歌人、道浦母都子さんの歌である。自然体とは無頼なること・・・う~む、難しい。難しいが、わからないではない。わからないではないが、やっぱり難しい。主人に感想をきくと、「おまえはコスモスといっしょやろなぁ。俺もコスモスやおまえになりたいよ」。

  

 旅立ちの装い
 主人がリタイアしたその職の前任者は7年前の4月1日に亡くなった。毎年4月1日を迎えると、「もういちど桜が見られるかなぁ」との彼女の言葉と思い出が甦る。桜をこよなく愛し桜が開花する時期に限り渋めの桜色のスーツを召されたそうな・・・。旅立ちの日も、彼女は桜色のスーツで颯爽と虹を渡ったにちがいないと、主人は思う。 ※ 末尾に「補遺」 

 もう一つの旅立ち
 4月2日は、主人の腎がん手術のちょうど1年後、主人と同じ出術をされた方の命日。初期に発見されながら術後3月で肺に、更に骨に転移。術後1年半の昨年3月半ば、「いつ呼吸停止してもおかしくない」と医師に終末期医療について問われ、『私、死ぬ気がしないんですけど』と答えた彼女は、その2週間後、虹の彼方に旅立った。

 この旅が終わる頃には・・・
 4月は出発(たびだち)の月。毎年この時期、多くの若いひとがすぐそれとわかる姿で街を歩く。やがて夏を迎え秋を迎える頃には周りにすっかり同化し「それとわかる」姿は俄かに見られなくなる。そうした年月を20年、30年、40年・・・やがて「なにもない日常」を迎える。
 北川賢一「大切なもの」の一節・・・『あたたかい人の優しさに/僕はこたえられているだろうか/この旅が終わる頃には/そのこたえも見えてくるだろう・・・この空の下/かけがえのない大切なもの』。



  ※ 補遺 ・・・ 「お別れの会」における弔辞より
 友人代表として弔辞を述べられたのは彼女の出身大学で同期の、そして当時その大学の学長をされていた方でした。以下は、原稿なしに語られた弔辞を、当時メモをもとに再現しておいたものです。但し、途中私自身が感極まりメモをとれなくなったため一部が抜けています。

『弔辞』 〇っちゃん、今日は頑張って泣かんと言うから、マジメに聞いてくれ。
 〇っちゃんが一時退院して入ってたホテルのスウィートルーム、なんちゅう豪華な部屋やったんや。一晩でええから泊めてくれ!って言うたら、あんた、ベッドがない!言うたな。 それでオレ、「あんたのベッドで寝てやるから!」って言うたら、「私にはその気はないっ!」って。「オレかてその気はない!」言うたら、あとは二人で大笑いやったなぁ。

 夜、急に〇っちゃんに会いたくなって、「今から行ってもええか?」って電話したら、 「来てもええけどイチゴのケーキ買って来な、部屋入れへんで!」って…。
 去年のクリスマスイブ…。例によってオレの家でやるパーティに〇っちゃんも来てくれたな。ええんか?言うたら、ええねん!って。その日、アンタいっぱいみんなと写真とってたな、ニコニコ笑いながら…。お別れ写真のつもりやってんなぁ。

 〇っちゃんのホテルの部屋で開いた年末の忘年会には、オレ、行けへんかった。すると夜中に、「早よ来い!」って。しかも、「お酒が足りひんからワインと焼酎もってこい!」って。オレ、ビンテージもんのワインと幻のナントカ言われる焼酎もって行った。あたりまえやけど、オレ、ちっとも惜しい思わんかった。
 
 ・・・中略・・・ ここで話したいことはなんぼでもある。なんぼでもあるけど、それより何よりもう一回、〇っちゃんと話したい。ここでなんぼ話しても尽きないし、なんぼ話してもむなしゅうなるだけやから、もうやめにする。あとは、オレかて、早く行きたいとは思わんけど、いずれそっちに行くことになるんやから、その時また語り合おう。それまでのお別れや。ありがとう。ほんまにありがとう。

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