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Channel: デ某の「ひょっこりポンポン山」
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母101歳の旅立ち

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 7年余前、母は 父のいるグループホームに入り 半年余をともに過ごしました。若き日の睦まじさ 斯くや!の半年余でしたが、父が旅立つと どこかふっきれたようなところがありました。

    
                  母の旅立った翌16日に 日本海 弓ヶ浜から撮った大山    

 コロナ禍にあっては面会も制約され 僅か15分余を2階の窓越しに声をかけ手を振るだけのための帰省も…。それでも血液検査では殆どの項目が標準値内にありましたし、食堂には自室から歩いて行きトイレも介助不要。100歳どころか「110まで生きる」勢いでした。

 昨年5月に100歳の誕生日を迎え 敬老の日に総理大臣表彰を受けました。長生きの家系ながら100歳超は母が初めてでした。市からお祝いに名産 "伯州綿" のタオルケットを戴きました。正直なところ 私より長生きしたらどうしよう!と思うほど丈夫で健やかでした。


 今月13日夜に母のグループホームから電話がありました。『食堂には来られますが すぐ居眠りされ 食事は召し上がられません』『水分だけでも!とヤクルトやジュースを勧めましたが それも…』。翌14日夕にも電話があり 『やっぱり殆ど召し上がられません』『M先生が明15日に点滴に来て下さることになりました』。
       ※ M先生は市内で開業されている内科医で母の教え子の一人でした。

 夏バテかな? 点滴で元気になるだろう! と思いつつ 姉に電話しました …「ちょっと厭な感じがする。今月中に一緒に帰省しよう」と。一度は「16~18日に帰省」と決めたものの 「7/30~8/1」に変更しました。

 15日朝に電話が鳴りグループホームから 「今 亡くなられました」。郷里まで車で 300km 。三連休初日の所為か名神~中国道は車が多く炎天下5時間のドライブ。高速道路のSA施設内はすべてペット立入禁止ゆえ、老猫シマジロウは5時間ずっと狭い車内から出られず ちょっと可哀そうなドライブとなりました。


 グループホームに着くと 自室のベッドに いつもと同じ安らかな寝顔の母がいました。

 17日通夜。18日告別式。葬儀社に相談し 忌中掲示も 地元紙への死亡公告もせず 家族葬としました。それでも 親しくしている母の甥と姪十数人に来ていただくことになりました。さらに グループホームの担当の方、母の教え子でもある私の親友も "或るルート" で知り「絶対 行く!」と。ありがたく来ていただきました。

 101歳と2か月2週間。歳に不足はないとはいえ… 思いは残りました。
 7年前に父を送り いま母を送り… 二人とも長生きしましたけど つぎ 私の番は 案外!早く来るのかな?

    

       ※ 番外の "補遺" ゆえ コメント欄は閉じさせていただいています。

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