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Channel: デ某の「ひょっこりポンポン山」
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吾輩も猫である 77 ( ぼくらが通ってきたところは・・・ )

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 主人が視るTV番組は、なぜか地上波ではNHKに偏り、そして地上波よりBSに偏っている。しかも録画が多く生!は殆どない。NHKは、受信料こそドブに棄てるつもりで払っているものの大嫌いなのだが、それでもNHKを視るのは、くだらないバラエティでお茶を濁す民放の所為もあろう。

 

 今日は余りに寒くて炬燵をもとめて居間に行くと、主人から「おぉ、いいとこに来た。ちょっと付き合え」と言ってもお酒ではなくTVの録画番組だった。先夜放送されたBS朝日「歌え!青春のフォーク」。富士山麓、河口湖畔の小じんまりしたホールにて過ぎ去りし青春に思いを馳せようと・・・。

 

 【武田鉄矢と海援隊】  母に捧げるバラード  贈る言葉

 『僕にはふるさとなんかなくなってしまったけど、一つだけ残るふるさとがあるとすれば、お母さん、それはあなたです(母に捧げる…)』。今週末、例月の介護帰省をする主人『俺には今もふるさとはある。紫深き大山、蒼く広い日本海。が、一つだけなくしたふるさとがある。それはお母さん、あなたです』。

 武田鉄矢のトークは臭いけどマトモだ。『僕は不安なことは一切考えない。思わない。バカみたいに単純に、明日は今日よりもっと良いことがある!と思っている』と。彼の母親は、12歳の時に母親に棄てられ、親戚にひきとられた。その母親のメゲナイ哲学を受け継いだのだろうか・・・。

 

 【杉田二郎】  戦争を知らない子どもたち  風

 沖縄が日本に返還されたのは1972年5月15日。主人の学生時代で、沖縄出身の友人が「これでビザがいらなくなる」とポツリ洩らしたのを憶えている由。杉田二郎は、返還後に沖縄で公演した際、「戦争を知らない・・・」をプログラムに入れなかった、『沖縄の人に叱られそうで怖くて・・・』。

 が、プログラムを総て終えるとアンコールの嵐・・・。まったく歌う気はなかったのにアンコールに吸い込まれるように歌ったのが「戦争を知らない子どもたち」だった。会場は総立ちでこれに応え Sing out! 杉田二郎は『感激して涙がとまらなかった、歌って良かった』と振り返った。

 

 【イルカ】 IUCN なごり雪

 「IUCN」とは国際自然保護連合・・・国境をこえて自然保護活動をする世界的規模の団体の由。その日本におけるテーマソングとしてイルカが歌っている。『ICUと間違えないでね、それは集中治療室ですよ』と笑わせていたが、ちょっと西城秀樹の「YMCA」っぽい歌詞、メロディーかも・・・。

 この人はやっぱり「なごり雪」。都会に出てきた学生が卒業を迎え、帰郷したり就職先へ向かう・・・国鉄(当時)の駅にはこの歌に似た情景が数知れずあったことだろう。そしてそうした情景とはかけ離れた「いま春がきて君はきれいになった/去年よりずっときれいになった」が胸を衝つ。

 

 【さとう宗幸】 青葉城恋唄  水仙華

 さとう宗幸は、東北以外では殆ど公演しない。だから『遠く関西からもファンの方が公演に来られます』。「青葉城恋唄」は、2011.3.11の大震災より前、宮城県沖大地震(1978年)の頃に歌い始めた。以来、震災であれ何であれ『いつも変わらない歌をいつものように』歌ってきた。

 皇后さんが被災地を訪ねられた際、家族も家も総て失くした一人の主婦が、『そんな我が家の庭にいつもと変わらず今年も水仙が咲きました』と皇后さんにその水仙を贈った。その水仙が羽田のタラップを降りる皇后さんの手にあるのをニュースで見た人々の感動が「水仙華」の歌となった。

 
                                              広瀬川(仙台)・・・by QP                                                    
 【トワエ・モア】 虹と雪のバラード 

 「虹と雪のバラード」は、1972年札幌冬季オリンピックのテーマソング。白鳥英美子の言う『北海道の人々には今でも特別の歌』であり、もし北海道が独立したら国歌になるだろうと言われている。この歌の作詞は「翼をください」の村井邦彦。やっぱり書くべき人が書いている。

 『ぼくらは呼ぶ/あふれる夢に・・・』。右肩上りの時代、今や死語の「3C」すなわちカー・カラーTV・クーラーが各家庭にまだ普及していなかった時代だった。『明日は今日よりずっと良い明日だ』、『オリンピックはカラーTVで見よう、来年の夏はクーラーを、いつかマイカーを』と・・・。

 

 【ぼくらがともに通ってきたところは “反戦” 】

 最後に全員で歌うとき、司会の小室等は、『きょう歌ったひとはみな各々のキャラクターがあるけど、ぼくらがともに通ってきたところは “反戦” だった。反戦の意地は貫き通したい』と呼びかけ歌ったのがボブ・ディラン「風に吹かれて」。主人『だから南こうせつはここにいないのか・・・』と。

 

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