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Channel: デ某の「ひょっこりポンポン山」
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旅の終わりに・・・

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 去る14日、BS朝日で放映された「ザ・ドキュメンタリー」・・・ご覧になった方も多いと思います。昨夏、105歳の天壽を全うされた日野原重明先生の『自分の死と向き合った最期の瞬間』の記録でした。録画したものを私の備忘録として要約しました。


                    聖路加国際病院スタッフのみなさんと日野原先生

 先生は10歳のとき急性腎炎に罹り、生死の境から恢復したものの3か月の休学を余儀なくされます。病が癒えると今度は母親が尿毒症で昏睡状態に陥ります。主治医の安永先生に「ぼくのお母さんは助かりますか?」と問うと、優しい笑顔で頷かれたそうです。

 「安永先生のようなお医者さんになりたい」と思った或る日、祖母の臨終を一人で看取ることになります。『おばあちゃんは、しーちゃん(日野原少年)のお父さん、お母さんのお蔭でこの家に長くお世話になり、こんな嬉しいことはないの』と話し終え、ごくりとつばをのむ音を最期に息が止まったおばあちゃん。日野原少年は『顔はシワだらけだけど、笑顔で出来たシワだった。死ぬ時の顔にも笑顔があるんだな』と。


    【左】10歳頃の日野原少年とおばあちゃん      【右】京都大学に入学した頃

 日野原少年は名門 神戸一中に合格しますが、入学式で教員に注意されその日のうちに退学、第二志望の関西学院中学に入学します。医学部をめざし、旧制三高を経て見事!京大医学部に合格しますが、好事魔多し・・・肺結核に罹り長い闘病を余儀なくされます。

 まだ「死の病」であった結核をのりこえたものの、一年間の休学で後れをとり、「医師はあきらめて音楽家になる」と父親に申し出ます。しかし神戸一中を僅か一日で退学することに何も言わず認めた父親が「医学部に入ったからには最後までやり抜け」と。


      【左】京大入学後、肺結核の病床にて  【右】結婚して家族とともに

 先生は後に若い医師に『重いけど死なない程度の病気は経験したほうがいい』と言われたそうです。幼少~学生時代の闘病経験から「重い病気をしたからこそ患者の気持ちがわかる」との思いがあったのでしょう。医学部教授志望から臨床医への転換点でした。

 やがて結婚され、三児に恵まれます。医師としては牧師だった父の影響もあり聖路加病院に勤務します。東京大空襲では千人を超す死傷者に接し、「おびただしい数の死亡診断書を書いた」日々が、後の大災害時医療体制への問題意識を育むことになります。


         先進医療、予防医学を学んだ米国留学時代の日野原先生

 戦後、米国に留学し「予防医療」を学びます。経験したことが総て「後の日本の医療」に結びつくのが凄い!です。「年だから仕様がない」とされた成人病を「生活習慣病」と命名、医療関係者にも患者にも健康と医療に関する大きな意識改革をもたらしました。


  【左】ハイジャック事件を報じる新聞       【右】開放・生還!された日野原先生

 自身の闘病、母の大病、祖母の死が先生が医学を志す原点。そして日本を揺るがす大事件が先生を「時の人」とし、日本の医療制度の転換点とならしめました。大事件の第一は1970年3月の「日航機ハイジャック事件」、乗客の1人に日野原先生がいました。

 囚われの機中、死を覚悟し「真相を書き遺したい」と記した克明なメモに先生の人生観が滲みます。紆余曲折を経て人質全員の解放が決まり、犯人グループとのお別れ会が開かれた席で、先生が犯人に語った言葉をハイジャック犯の一人若林盛亮が語っています。

 『君達はハイジャックが何か知っているか?と問われ答えられなかった。乗客は肉体も精神もズタズタ、君達の行為は人の命を犠牲にすることに何の痛みも感じない闘い方だと諭され、グサリときた。その言葉に自分達を顧み、いつかお詫びをしたいと思った』と。


  【左】地下鉄サリン事件を報じる新聞     【右】聖路加病院の記者会見(中央が日野原先生)
 
 1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きます。一報に「外来診療は中止。運びこまれる人は全員受けいれる」と決めた聖路加国際病院は、640人を受けいれました。それを可能にしたのは、事件の3年前に新築された病棟の様々な先見的設備でした。

 廊下は標準の倍ほど広くとっています。万一の場合、廊下も患者を受けいれるスペースにするためでした。廊下の各所に酸素吸入バルブも設置されています。院内の教会の長椅子もベッドに転用されました。大災害に備える日野原イズムが反映されていました。



 私の腎がん友は、最近「患者さんの役に立てば」と病院ボランティアを始めました。日野原先生が聖路加病院で始め広まった制度です。患者さんの身の周りを手助けするほか、医師や看護師に言いにくい、相談しづらい患者の声に耳を傾け、解決へと繋ぎます。

 音楽療法を初めて病院に導入したのもかつて音楽家をめざした日野原さん。「葉っぱのフロディ」のミュージカル化を思いたち、乞われるとその脚本にも加わりました。更に乞われるとステージにも登場し喝采を浴びるその姿は、もう一人の日野原先生でした。

 終末期医療については『人間は何かをしたいとの強い気持ちを死の間際まで持っています。いよいよ患者さんの死が近いという時、私達医師が為すべきことは、その人の命を延ばすこと以上に、その人のために何を為すべきか、寄り添い考えることです』と。


    【左】「命の授業」                 【右】水彩画を描く

 先生は「いのちの授業」で子ども達に『みんな生きていて自分の命を持っているでしょう。その命、どこに持っているの?』と問います。子ども達は答えられません。TVを見ていた私も答えられません。子ども達は固唾をのんで先生の答を待ちます。

 『命というのは自分の身体にあるんだけど、触ることも見ることもできない』『命というのはね、自分が持っていて使える時間のことなんだよ』『だから自分の持っている時間をどう使うかということは、自分の命をどう使うかっていうことです』『命の時間をどう使うか、これからしっかり考えてください』。

 いつも新しいことに挑戦!は、日野原先生の健康長寿の秘密の一つ。野球、ゴルフ、乗馬など総て90歳を超えてから始められました。水彩画もその一つで、伸びやかで彩やか
・・・若き日に音楽家を志したこともあるアーティスト魂が如何なく発揮されています。


   【左】アグネスさんとともにユニセフ活動      【右】ご次男のお嫁さん眞紀さんと

 ユニセフの活動にも積極的に参加されました。ユニセフ大使のアグネス・チャンさんと話していて「旅が好きです」と仰った先生にアグネスさんが「今度私と一緒に行きましょう」。すると先生は「それはいけません。周りの方が誤解されると困ります・・・」。

 アグネスさんも「なんて可愛いらしい先生なんでしょう」と仰っていました。女性記者にセクハラして辞職に追い込まれたどこかの事務次官にきかせてやりたい逸話です。毒蝮三太夫さんは「若い看護師さんが先生にハグしたがる。なんという色気でしょう」と。

 最晩年の日野原さんの身の周りをお世話されたのはご次男のお嫁さん眞紀さんでした。
 『誤嚥防止のためゼリー食中心でしたが、サラサラの水をゴクゴク飲みたいと仰いました』『自分が今どこまで出来るか、自分の身体を自分で診察したかったのではと、後に思いました』『最期の望みを叶えてあげられなかったことに今も胸が痛みます』と。



 病床に横になったまま語られた言葉・・・。
 『別れという事に、残された人達は悲しみを感じる。しかし別れる事によって今までのその人との出逢いを再確認する。別れる事が起きて、その出逢いが何であったのか本当の意味がわかる。それが本当の出逢いだ。別れは、本当の出逢いに含まれている』

 その病床でインタビュアーが問います、「先生、死ぬことは怖いですか?」と。傍らにいた眞紀さんが「なんていうことを!」と震えた問いかけでした。先生は仰います。

 『はっきり言われると、恐ろしい。未知なものは世の中にたくさんあるけれども、本当のことを知ることは恐ろしい。だから、もうそんなことはきかないでほしい』
 『今、私は旅立ちの中にいる。この旅には今まで思いもしなかった旅の苦しみがある。苦しみがあって初めて、私のこれまでの旅が報われるのでないかという思いがあり、その思いを、同じ旅をするみなさんと共有している』。

  ルイ・アームストングも素敵ですが、ロッド・スチュアート「What a Wonderful World」を!



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