何気ない言葉から旧い記憶が甦る
主人、あるブログの「止めてくれよ」との一行に、四十数年前、一世を風靡した一枚のポスターを思い出した。ある大学祭の宣伝で、若い男がもろ肌脱いだ浮世絵風の絵に 『とめてくれるなおっかさん/背中の銀杏が泣いている/男〇大どこへ行く』 との言葉が添えられたポスターだ。
「11PM」というTV番組
大学紛争・・・「紛争」という言葉にはどうにも馴染めないが、その真っ只中の1960年代の終わり頃の大学祭。ポスターを制作したのは無名の学生で、朝日新聞が写真付きで報じて一挙に有名になった。その学生、「11PM」と言う当時としてはちょっとエッチな番組にもゲストで出ていた。
司会は・・・東の巨泉、西の義一
司会は巨泉だったか・・・「どうしてあんなポスター描いたの?」と訊いた。学生は「作りたかったから」と答えた。巨泉は余ほど悔しかったのか、「そうだろ! だからオレはそんなこと訊きたくなかったんだ。ディレクターが訊け!訊け!て言うから訊いたんだけど」と視聴者にぼやいていた由。
ディテールにこだわる?記憶力
よくまあそんなディテールまで憶えているもんだとあきれる。モノ覚えが悪いうえに此頃はモノ忘れも激しい主人、なぜかそういうつまらない旧いことに記憶の容量を割いている。まぁそれは兎も角、この学生はそれから暫くして小説を書いた。ポルノっぽいこの小説はやがて映画化もされた。
ポスターの言葉を超えられなかった男
無名の学生が一躍有名になったのだが、主人は 「あのポスターに記された、止めてくれるなおっかさん・・・の短い言葉を超える小説は一つとしてない」と言う。言わばあの言葉を世に出したことで彼の才能(運?)は使い果たされ燃え尽きたのかもしれない。或る意味で帳尻は合った!のだ。
主人の(スロー)ジョギングコースから見る夕焼け 人生の黄昏には未だ・・・
人生における「帳尻」
人生(猫生に非ず)には、帳尻というものが確かにありそうだ。無名と有名、頑健と病弱、勝ち組と負け組・・・相反する大きな隔たりも実は紙一重、どこかで逆転し帳尻が合わされる・・・。無名のままだとか負けてばかりだと言う人もいようが、先はわからない、まして来世などわかる筈もない。
吾輩(猫)は・・・吾が道を行く
人生は兎も角、猫生はどうなんだ!と? 聞きたいだろうが・・・言わない。「猫のことがよくわかる本」だとか、「もっと猫がわかる本」だとかあるらしいが、わかるものか! 人間は猫のことなどそんな深いところまで知らなくていい。いつも寝ているお気楽極楽の猫ちゃん、でいいのでござ~る。
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