「名曲断想」番外篇として
吾輩の出番がない。別に出番などいらないが、吾輩のファンのことを思えば若干・・・気になる。鈍感な主人でもそのことに気づいたのか、先の介護帰省で心が傷ついたゆえか・・・「シマ。名曲断想の番外篇をおまえに任す」とPCを渡された。
倍賞千恵子 「鈴懸の径」・・・「昭和」の色濃い時代
「鈴懸の径(みち)」は昭和17年に作られた。前年に始まった太平洋戦争の最中に歌われたとは思えないのどかな歌詞であり曲である。この雰囲気、この系譜はそれから20年後、ペギー葉山「学生時代」に引き継がれ学生たちに愛唱された。
『友と語らん鈴懸の径/通いなれたる学舎(まなびや)の街/やさしの小鈴 葉かげに鳴れば/夢はかえるよ鈴懸の径・・・熱き想いを心にこめて/澄んだ眸は青空映す/窓辺の花に頬を寄せれば/夢はかえるよ鈴懸の径・・・月日は移り想い出だけが/今も浮かぶよ別れた友の/若き日の唄 風に乗せれば/夢はかえるよ鈴懸の径』
主人は高校時代の文化祭で初めてエレキバンドの演奏による「鈴懸の径」を聴いた由。当時のエレキバンドと言えばベンチャーズの全盛時代、「ダイヤモンドヘッド」「パイプライン」などではなく「鈴懸の径」とは・・・渋い。まだまだ昭和の色濃い時代である。
岡林信康「友よ」・・・団塊の青春
1960年代末~70年代が主人の学生時代。「フォーク(ソング)」は反戦平和の代名詞のようにこの世代をとらえ、岡林信康、北山修、加藤和彦、井上陽水、財津和夫らが躍り出た。やがて大なり小なり商業ベースにのりその魂も変質?する。
『友よ 夜明け前の闇の中で/友よ 闘いの炎を燃やせ・・・友よ 君の涙 君の汗が /友よ 報われるその日が来る・・・友よ 昇り来る朝日の中で/友よ 歓びを分かち合おう/夜明けは近い/夜明けは近い/友よ この闇の向こうに/友よ 輝く明日がある』
車座になって、あるいは肩や腕を組んで歌う。ダサい!と? まあそれがこの時代のスタイルなのだ。いや、スピリットなのだ。彼らにとって明日はいつも輝いていたのだ。そして別れ際にはきまって「今日の日はさようなら」を歌うクサイ?世代であった。
赤い鳥 「竹田の子守唄」・・・暗い時代を先取り?
主人もその端につながる「団塊の世代」。ある政治家がこれを「ダンコンの世代」と言ったのにはぶっタマげたが、まあそれはさておき、団塊世代の次に現われたのが「新人類」世代・・・TBSのキャスター筑紫哲也が名づけた。
『守もいやがる 盆から先にゃ/雪もちらつくし 子も泣くし・・・この子よう泣く 守をばいじる/守も一日 痩せるやら・・・久世の大根飯 吉祥の菜飯/またも竹田の もんば飯・・・早よも行きたや あの在所越えて/向こうに見えるは 親の家』
「久世(くぜ)」「吉祥(きっちょ)」「竹田」はいずれも京都の地名であり、また「在所」は部落を指し一時「放送停止(停波)」となった。総務大臣が停止を命じたわけではない。そうした如何にも日本的な自粛!は、現在の右へ!右へ!の自粛を想起させる。
人形作家「与勇輝」に魅せられたQPが その昭和の世界に近づき描こうと試みたPC画。
中村あゆみ 「翼の折れたエンジェル」・・・新人類の溜め息
80年代半ばに登場し、まさに新人類世代の歌であった!と言えば中村あゆみに叱られるか・・・。まあ当人たちには迷惑なレッテル貼りであろう。時代のヒーローを競ったのが団塊世代であるとすれば、ヒーローになれなかった、なりたくもなかった世代である。
『もし俺がヒーローだったら/悲しみを近づけやしないのに/そんなあいつのささやきにさえ/うなずけない心が淋しいだけ/翼の折れたエンジェル/あたしも翼の折れたエンジェル/みんな翔べないエンジェル』
尾崎豊「十七歳の地図」・・・生きていれば!
尾崎豊もまたこの1980年代を駆けぬけた世代である。痛々しいまでに傷ついた心は遂にその時代を駆けぬけることなく斃れたのだったが・・・。生きていれば既に50代、初老の尾崎豊はどんな曲をつくり、どう歌っているだろうか。
『電車の中 押しあう人の背中に幾つものドラマを感じて/親の背中にひたむきさを感じて/この頃ふと涙こぼした 半分大人のSeventeen's map ・・・人波の中をかきわけ壁づたいに歩けば/しがらみのこの街だから強く生きなきゃと思うんだ/ちっぽけな俺の心に空っ風が吹いてくる・・・焼けつく様な夕陽が今 心の地図の上で起こる全ての出来事を照らす』
主人の帰省について・・・寸描
父親は 認知症対応のグループホームに居る。もう殆ど喋ることはない。歩くことも服を着替えることも食べことさえ自らの力ではできない。しかし顔色は良く表情は穏やかである。逢えば伝わるものが確かにある。十分立派に生きているのだ。
母親は、足を怪我して歩行困難になったのを機にいわゆる「サ高住」に入った。設備は申し分なく、医療・看護なども万全である分、かなりの高額でもある。快適の筈なのだが、母親は「家で一人暮らしする方がいい」と・・・。その希望を叶えない主人に、母親は「おまえを人権擁護委員会に訴える」。主人、さすがにガックシきていた。
主人の実家で見つけた旧い写真・・・左・中はいつの時代の誰かさえ不詳、右は数年前の主人一家。
主人と母親には無縁!の・・・さだまさし「無縁坂」
『母がまだ若い頃/僕の手をひいて/この坂を登るたび/いつも溜息をついた/溜息つけばそれで済む/うしろだけは見ちゃだめと/笑ってた白い手は/とてもやわらかだった・・・運がいいとか悪いとか/人は時々口にするけど/そうゆうことって確かにあると/あなたを見ててそう思う』
十五の歳までは、母親に対して多かれ少なかれそういう感慨とか思い出とか・・・そうゆうことってあるものかもしれない。しかし、主人の場合、ほんと・・・そこまで!のようだ。そこからはなんかぎくしゃくして、いつも擦れ違ってきたと言っている。
『母はすべてを暦に刻んで/流して来たんだろう/悲しさや苦しさは/きっとあったはずなのに・・・運がいいとか悪いとか/人は時々口にするけど/めぐる暦は季節の中で/漂いながら過ぎてゆく/忍ぶ 忍ばず 無縁坂/かみしめる様な ささやかな 僕の母の人生』
主人が母親の人生についてかみしめる時は、いつだろう・・・。そうゆうことがあるのかないのかさえまだわからない。わかっていることは、それでもまだ毎月、毎月、帰省しては母親と諍いをしながら・・・またつぎの月を迎えるということぐらいだろう。
さだまさし 「無縁坂」
【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
かんわきゅうだい http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
吾輩の出番がない。別に出番などいらないが、吾輩のファンのことを思えば若干・・・気になる。鈍感な主人でもそのことに気づいたのか、先の介護帰省で心が傷ついたゆえか・・・「シマ。名曲断想の番外篇をおまえに任す」とPCを渡された。
倍賞千恵子 「鈴懸の径」・・・「昭和」の色濃い時代
「鈴懸の径(みち)」は昭和17年に作られた。前年に始まった太平洋戦争の最中に歌われたとは思えないのどかな歌詞であり曲である。この雰囲気、この系譜はそれから20年後、ペギー葉山「学生時代」に引き継がれ学生たちに愛唱された。
『友と語らん鈴懸の径/通いなれたる学舎(まなびや)の街/やさしの小鈴 葉かげに鳴れば/夢はかえるよ鈴懸の径・・・熱き想いを心にこめて/澄んだ眸は青空映す/窓辺の花に頬を寄せれば/夢はかえるよ鈴懸の径・・・月日は移り想い出だけが/今も浮かぶよ別れた友の/若き日の唄 風に乗せれば/夢はかえるよ鈴懸の径』
主人は高校時代の文化祭で初めてエレキバンドの演奏による「鈴懸の径」を聴いた由。当時のエレキバンドと言えばベンチャーズの全盛時代、「ダイヤモンドヘッド」「パイプライン」などではなく「鈴懸の径」とは・・・渋い。まだまだ昭和の色濃い時代である。
岡林信康「友よ」・・・団塊の青春
1960年代末~70年代が主人の学生時代。「フォーク(ソング)」は反戦平和の代名詞のようにこの世代をとらえ、岡林信康、北山修、加藤和彦、井上陽水、財津和夫らが躍り出た。やがて大なり小なり商業ベースにのりその魂も変質?する。
『友よ 夜明け前の闇の中で/友よ 闘いの炎を燃やせ・・・友よ 君の涙 君の汗が /友よ 報われるその日が来る・・・友よ 昇り来る朝日の中で/友よ 歓びを分かち合おう/夜明けは近い/夜明けは近い/友よ この闇の向こうに/友よ 輝く明日がある』
車座になって、あるいは肩や腕を組んで歌う。ダサい!と? まあそれがこの時代のスタイルなのだ。いや、スピリットなのだ。彼らにとって明日はいつも輝いていたのだ。そして別れ際にはきまって「今日の日はさようなら」を歌うクサイ?世代であった。
赤い鳥 「竹田の子守唄」・・・暗い時代を先取り?
主人もその端につながる「団塊の世代」。ある政治家がこれを「ダンコンの世代」と言ったのにはぶっタマげたが、まあそれはさておき、団塊世代の次に現われたのが「新人類」世代・・・TBSのキャスター筑紫哲也が名づけた。
『守もいやがる 盆から先にゃ/雪もちらつくし 子も泣くし・・・この子よう泣く 守をばいじる/守も一日 痩せるやら・・・久世の大根飯 吉祥の菜飯/またも竹田の もんば飯・・・早よも行きたや あの在所越えて/向こうに見えるは 親の家』
「久世(くぜ)」「吉祥(きっちょ)」「竹田」はいずれも京都の地名であり、また「在所」は部落を指し一時「放送停止(停波)」となった。総務大臣が停止を命じたわけではない。そうした如何にも日本的な自粛!は、現在の右へ!右へ!の自粛を想起させる。
人形作家「与勇輝」に魅せられたQPが その昭和の世界に近づき描こうと試みたPC画。
中村あゆみ 「翼の折れたエンジェル」・・・新人類の溜め息
80年代半ばに登場し、まさに新人類世代の歌であった!と言えば中村あゆみに叱られるか・・・。まあ当人たちには迷惑なレッテル貼りであろう。時代のヒーローを競ったのが団塊世代であるとすれば、ヒーローになれなかった、なりたくもなかった世代である。
『もし俺がヒーローだったら/悲しみを近づけやしないのに/そんなあいつのささやきにさえ/うなずけない心が淋しいだけ/翼の折れたエンジェル/あたしも翼の折れたエンジェル/みんな翔べないエンジェル』
尾崎豊「十七歳の地図」・・・生きていれば!
尾崎豊もまたこの1980年代を駆けぬけた世代である。痛々しいまでに傷ついた心は遂にその時代を駆けぬけることなく斃れたのだったが・・・。生きていれば既に50代、初老の尾崎豊はどんな曲をつくり、どう歌っているだろうか。
『電車の中 押しあう人の背中に幾つものドラマを感じて/親の背中にひたむきさを感じて/この頃ふと涙こぼした 半分大人のSeventeen's map ・・・人波の中をかきわけ壁づたいに歩けば/しがらみのこの街だから強く生きなきゃと思うんだ/ちっぽけな俺の心に空っ風が吹いてくる・・・焼けつく様な夕陽が今 心の地図の上で起こる全ての出来事を照らす』
主人の帰省について・・・寸描
父親は 認知症対応のグループホームに居る。もう殆ど喋ることはない。歩くことも服を着替えることも食べことさえ自らの力ではできない。しかし顔色は良く表情は穏やかである。逢えば伝わるものが確かにある。十分立派に生きているのだ。
母親は、足を怪我して歩行困難になったのを機にいわゆる「サ高住」に入った。設備は申し分なく、医療・看護なども万全である分、かなりの高額でもある。快適の筈なのだが、母親は「家で一人暮らしする方がいい」と・・・。その希望を叶えない主人に、母親は「おまえを人権擁護委員会に訴える」。主人、さすがにガックシきていた。
主人の実家で見つけた旧い写真・・・左・中はいつの時代の誰かさえ不詳、右は数年前の主人一家。
主人と母親には無縁!の・・・さだまさし「無縁坂」
『母がまだ若い頃/僕の手をひいて/この坂を登るたび/いつも溜息をついた/溜息つけばそれで済む/うしろだけは見ちゃだめと/笑ってた白い手は/とてもやわらかだった・・・運がいいとか悪いとか/人は時々口にするけど/そうゆうことって確かにあると/あなたを見ててそう思う』
十五の歳までは、母親に対して多かれ少なかれそういう感慨とか思い出とか・・・そうゆうことってあるものかもしれない。しかし、主人の場合、ほんと・・・そこまで!のようだ。そこからはなんかぎくしゃくして、いつも擦れ違ってきたと言っている。
『母はすべてを暦に刻んで/流して来たんだろう/悲しさや苦しさは/きっとあったはずなのに・・・運がいいとか悪いとか/人は時々口にするけど/めぐる暦は季節の中で/漂いながら過ぎてゆく/忍ぶ 忍ばず 無縁坂/かみしめる様な ささやかな 僕の母の人生』
主人が母親の人生についてかみしめる時は、いつだろう・・・。そうゆうことがあるのかないのかさえまだわからない。わかっていることは、それでもまだ毎月、毎月、帰省しては母親と諍いをしながら・・・またつぎの月を迎えるということぐらいだろう。
さだまさし 「無縁坂」
【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
かんわきゅうだい http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0