前項「かんわきゅうだい8(うねり)」では、コメントはいただけないものと思っていました。にもかかわらずお心遣いが身にしむコメントをたくさんいただきました。そして、根源的にして容易にこたえがたいコメントに接し、改めてしっかり受けとめなくてはと思いました。
Aさんは、安保法案について報道に左右されることなく賛成・反対各々についてじっくり眺めたい、同じ意見の側からばかり見ていると勘違いしてしまう、自分自身いずれかに与(くみ)すると結果にガッカリしかねない、各々の立場をしっかり見極めたいと・・・。然り。
Rさんは、争論の言葉の洪水に「一体自分は何処に行くのだろう。やはり帰ろうかな・・・言葉なんか無くしてしまって」と。私自身、ここで論じつつ、もう帰りたいと途方に暮れました。でも、Rさんは「国会前の人々は雨に濡れて立っていた・・・帰らなかったね」と。
【共同】 【朝日9.18】
社会(時代)を支配する人々は たくさんの武器を持っています。法律・様々な制度と組織・人と財力・・・。それら総てを駆使して人と社会と時代を支配します。マスコミはその一角を担う強力なプロパガンダです。新聞のY紙・S紙、放送ではNHKほか殆ど・・・。
改めて言うまでもなく「マスコミ=ジャーナリズム」ではありません。ジャーナリズムのジャーナリズムたり得る使命は、社会の無数の声なき声を丁寧に拾い集め、広く世に出すことに他なりません。政府広報の補完でも時の支配層のための世論誘導でもありません。
真のジャーナリズムは中立性・公平性に束縛されない筈です。声なき声を圧力に屈せず勇気をもって報じるか否かに真髄がありますから。が、現実は、垂れ流しマスコミが「支配する側」の旗幟を鮮明にする一方、まともなメディアほど中立・公平性に拘り曖昧模糊・・・。
一体自分は何処へ行くのだろう/やはり帰ろうかな/言葉なんか無くしてしまって(Rさん)
言葉の空しさは しばしば人としての空しさにつながりますね。「帰ろうかな/言葉なんか無くして」に、心が呻きます。何処に行くべきか、わかろうとするほどに、心が悲鳴を上げます。進むこともできず 引き返すこともできず、その場に呆然と佇みます。
国会議事堂周辺・・・。雨に濡れ 風に吹かれ 制止されることに寧ろ安堵を覚えている方もいらっしゃるのでしょうか・・・と不遜なことを想い、若山牧水の歌をなぞっています。
『行くにあらず帰るにあらぬ旅人の頬に港の浪蒼く映ゆ』
「死んだ男の残したものは」 大竹しのぶと長谷川きよし (同Rさん)
昔、友人に「男と女の真実を歌った曲を知ってる?」と問われました。「なんとまあ傲岸な問いかけだ」とむっとしました。「知ってるよ、なんぼでも」と言いたいところですが、こたえに詰まった私に「この曲!」 と示されたのが、長谷川きよし「黒の舟歌」でした。
「死んだ男の・・・」。長谷川さんと大竹さんが歌われたのですね。なんとなく合点が行きます。山崎ハコさんとか美輪明宏さんとか、如何にもそれらしき方が歌うのであれば「異議あり」と言うところですが・・・。大竹しのぶさん、長谷川きよしさん、なるほどなるほど・・・。
こころという無形のものが有るとして もうねじれて切れてしまっているよ(同)
こころは 無形であるがゆえに如何様にも歪め変形させられるのでしょうか・・・。烈しい言葉にたじろぎ ふさわしいことばが形になって浮かんできません。哀しみの底に、私のことばなど何ほどの力もなく佇むほかありません。心に形はないとして色は匂いは・・・。
寺山修司は今日を見ていたのか?
「マッチするつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)」 (同)
マッチする・・・砂浜でしょうか、岸壁でしょうか。わが郷里境港には外国航路の大型船も遠洋をまわる漁船も停泊します。「弓ヶ浜」と呼ばれる日本最大級の遠浅の砂州が日本海と向き合います。煙草を吸うために擦ったマッチでしょうか、戯れに擦ったマッチでしょうか。
濃霧だったのでしょう、海と霧しか見えないその場面。寺山修司は、昨日を振り返り、戦争で国に命を捧げた者に問いかけたのでしょうか。それとも彼自身に対して、明日の彼と日本の国の明日を問いかけたのでしょうか。こたえは「風がふいているだけ」でしょうか・・・。
「身捨つるほど」美しく優しく賢くあたたかな祖国をつくる努力がないがしろにされる一方、武器をとり勇猛果敢に戦に赴く蛮勇を褒め称える人々が、国の真ん中にいます。彼らが持っているのはマッチではありません。人を殺す、人を大量に殺戮する銃砲です。
身捨つる その「身」には「身捨つる」ことを称え、「身捨つる」覚悟を強いる人々も含まれるのでしょうか。その身をいのちなき砂に重ね 啄木の歌を思います。
『いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ』
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【過去ログ目次一覧】
かんわきゅうだい http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
Aさんは、安保法案について報道に左右されることなく賛成・反対各々についてじっくり眺めたい、同じ意見の側からばかり見ていると勘違いしてしまう、自分自身いずれかに与(くみ)すると結果にガッカリしかねない、各々の立場をしっかり見極めたいと・・・。然り。
Rさんは、争論の言葉の洪水に「一体自分は何処に行くのだろう。やはり帰ろうかな・・・言葉なんか無くしてしまって」と。私自身、ここで論じつつ、もう帰りたいと途方に暮れました。でも、Rさんは「国会前の人々は雨に濡れて立っていた・・・帰らなかったね」と。
【共同】 【朝日9.18】
社会(時代)を支配する人々は たくさんの武器を持っています。法律・様々な制度と組織・人と財力・・・。それら総てを駆使して人と社会と時代を支配します。マスコミはその一角を担う強力なプロパガンダです。新聞のY紙・S紙、放送ではNHKほか殆ど・・・。
改めて言うまでもなく「マスコミ=ジャーナリズム」ではありません。ジャーナリズムのジャーナリズムたり得る使命は、社会の無数の声なき声を丁寧に拾い集め、広く世に出すことに他なりません。政府広報の補完でも時の支配層のための世論誘導でもありません。
真のジャーナリズムは中立性・公平性に束縛されない筈です。声なき声を圧力に屈せず勇気をもって報じるか否かに真髄がありますから。が、現実は、垂れ流しマスコミが「支配する側」の旗幟を鮮明にする一方、まともなメディアほど中立・公平性に拘り曖昧模糊・・・。
一体自分は何処へ行くのだろう/やはり帰ろうかな/言葉なんか無くしてしまって(Rさん)
言葉の空しさは しばしば人としての空しさにつながりますね。「帰ろうかな/言葉なんか無くして」に、心が呻きます。何処に行くべきか、わかろうとするほどに、心が悲鳴を上げます。進むこともできず 引き返すこともできず、その場に呆然と佇みます。
国会議事堂周辺・・・。雨に濡れ 風に吹かれ 制止されることに寧ろ安堵を覚えている方もいらっしゃるのでしょうか・・・と不遜なことを想い、若山牧水の歌をなぞっています。
『行くにあらず帰るにあらぬ旅人の頬に港の浪蒼く映ゆ』
「死んだ男の残したものは」 大竹しのぶと長谷川きよし (同Rさん)
昔、友人に「男と女の真実を歌った曲を知ってる?」と問われました。「なんとまあ傲岸な問いかけだ」とむっとしました。「知ってるよ、なんぼでも」と言いたいところですが、こたえに詰まった私に「この曲!」 と示されたのが、長谷川きよし「黒の舟歌」でした。
「死んだ男の・・・」。長谷川さんと大竹さんが歌われたのですね。なんとなく合点が行きます。山崎ハコさんとか美輪明宏さんとか、如何にもそれらしき方が歌うのであれば「異議あり」と言うところですが・・・。大竹しのぶさん、長谷川きよしさん、なるほどなるほど・・・。
こころという無形のものが有るとして もうねじれて切れてしまっているよ(同)
こころは 無形であるがゆえに如何様にも歪め変形させられるのでしょうか・・・。烈しい言葉にたじろぎ ふさわしいことばが形になって浮かんできません。哀しみの底に、私のことばなど何ほどの力もなく佇むほかありません。心に形はないとして色は匂いは・・・。
寺山修司は今日を見ていたのか?
「マッチするつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)」 (同)
マッチする・・・砂浜でしょうか、岸壁でしょうか。わが郷里境港には外国航路の大型船も遠洋をまわる漁船も停泊します。「弓ヶ浜」と呼ばれる日本最大級の遠浅の砂州が日本海と向き合います。煙草を吸うために擦ったマッチでしょうか、戯れに擦ったマッチでしょうか。
濃霧だったのでしょう、海と霧しか見えないその場面。寺山修司は、昨日を振り返り、戦争で国に命を捧げた者に問いかけたのでしょうか。それとも彼自身に対して、明日の彼と日本の国の明日を問いかけたのでしょうか。こたえは「風がふいているだけ」でしょうか・・・。
「身捨つるほど」美しく優しく賢くあたたかな祖国をつくる努力がないがしろにされる一方、武器をとり勇猛果敢に戦に赴く蛮勇を褒め称える人々が、国の真ん中にいます。彼らが持っているのはマッチではありません。人を殺す、人を大量に殺戮する銃砲です。
身捨つる その「身」には「身捨つる」ことを称え、「身捨つる」覚悟を強いる人々も含まれるのでしょうか。その身をいのちなき砂に重ね 啄木の歌を思います。
『いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ』
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吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f