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あの胸が岬のように…

 先夜BSPで放送された「あの胸が岬のように遠かった ~河野裕子と生きた青春~」。私は 歌人の端くれの端くれ、歌人を名乗るのは羞かしい輩ながら、或る種の "ときめき" をもって番組を視ました。彼女の夫君 永田和宏の原作であり、下敷きになるのは 後に発見された彼女の膨大な日記です。

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 語られたメッセージは『これは私たちの青春の証しである。他に生き方があったわけではなく このようにしか私たちは生きられなかったのだ』。小椋佳 "孤高の鷹"『誰のようにも生きられず誰のようにと生きもせず』を想い、あの時代の青春は 多かれ少なかれ誰であれそうだ! と思いました。

 歌人 河野裕子は 大学在学中に「桜花の記憶」で角川短歌賞を受賞。タイトルは 受賞五十首の一首『夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと』に由来します。なお エッセイ「桜花の記憶」は 彼女の亡くなった2012年に出版され 長女の歌人 永田紅が "あとがき" を記しました。

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 永田和宏は一度も遺影に手を合わさず納骨もしていない由。「自分は河野裕子にふさわしかったのか」と未だ自問しているのか...。「歌に私は泣くだらう」など河野裕子に関わる書を幾冊上梓しても、彼女に注がれる愛情は彼女の死後12年を経てなお生身!のまま永田和宏の中に存在するのか...。

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 二人は学生時代に短歌の縁で出遭い、永田和宏が "一目惚れ" しました。交際は今熊野のレストラン「らんぶる」※から始まります。ともに先輩の初デートのダシとして「らんぶる」に同行していました。後にわかりますが、このとき河野裕子も『永田さんを一目で好きになった』のでした。
    ※「らんぶる」は祇園にあるレストラン、当時は今熊野に? 当時も今も 私は行ったことはありませんが...。

 河野裕子は 或る "重大な秘密" (後記)を抱えつつ交際が始まります。その当時の彼女が詠んだ歌は『ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり』。けぶれるごとき乳房! 彼女のそんな心境(情念?)とは裏腹に彼の思いと生理と行動は ちぐはぐに逡巡していました。

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 『あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでおれの少年』。彼は 自身の心情に気づきつつ 行動に移れません。たとえ彼女の思いを朧に知っていても、心はいつも近くにリアルにあっても、彼女の胸は遠い岬のように霞む。そこに少年から男への不様!が 霞むことなく明瞭にありました。

 そこを一歩も出ない中で河野裕子が詠んだ歌『たとえば君 ガサッっと落ち葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか』。後に教科書にも載り 歌人 河野裕子の名を一躍 広めた歌は、少年を残し煮え切らない永田和宏への挑発であり、少年ならぬもう一人の男への訣別でもありました。
      
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 2010年夏、河野裕子の命がつきます。その数日前、彼女の歌を永田和宏が口述筆記しました。『長生きして欲しいと誰彼数えつつ つひにはあなたひとりを数ふ』。やがて彼女の死から一年が経ち 遺品整理に赴いた彼女の実家で 段ボール箱に収められた膨大な日記、手紙が見つかりました。

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 『何が書かれているのか知るのが怖く』て読むことができなかった日記。漸く読む気になったのは2019年秋のことでした、『こんなにドキドキするとは何事か!』と思いつつ...。彼が "怖い" と思ったことは、彼女の存命中から気になっていたこととニア・イコールだったのかもしれません。

 日記は 大学入学から結婚までの6年間、三十数冊に上りました。ページごと刃物で切り取られた箇所も幾つかありました。永田和宏が気になった男... 仮に「N」と呼んだ人物は、彼女と同じ短歌の師 宮柊二の門弟です。日記を辿りNを探す光景は恰も謎解きのドラマを見るかのようでした。

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 日記には『永田さんとNさんが心の裡で揉みあっている』『Nさん。胸の奥がひきちぎれるほど... 』etc. その頃、永田和宏と河野裕子は夕暮れの京都の路地で!ダンスを踊ったりしていた時期でもありました。当時、彼が詠んだ歌は『夕闇を忍びてのぼる煙青くわが十代は駆けて去り行く』

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         再現ドラマには寧ろ不思議なリアリティがあり ふたりが踊るシーンに心騒ぎました。

 彼はかなり早い時期に気づき始めていました、彼女の中に別の世界があることを。それがNであり宮柊二の弟子として将来を嘱望された歌人であることを。屋島で開かれた歌会で彼女はNの「ひたひたとした愛情」を感じています。感じたまま… 日記はその数日間に36ページが費やされていました。

 『私 おかしいのかもしれない。私の中に何かを生みつけられたみたい』。彼には『どうしたらいいの。二人を好きになった。一緒にいたい、あなたと、あの人とも』。日記には『言ってはならないことを言ってしまった。なんという愚かさ』『優しく抱かれるより張り倒されたほうが良かった』。

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 河野裕子『陽に透かし葉脈くらきを見つめをり 二人のひとを愛してしまへり』。永田和宏は「君には残酷かもしれんけど、どっちか選べ」と言い『動こうとしないおまえの ずぶ濡れの髪 ずぶ濡れの肩 いじっぱり』と詠む。人を愛するということは斯くも一途で独りよがりでなければならぬのか。

 奥深く秘匿された日記。永田は「見られたくない、知られたくないこともある。それも含めて書き残すことが自分の務めだと思った」「もしあの日記を知らなかったら今の幸せを本当には実感できなかったと思う」「こんな風に生きた人間がいたことをいつまでも人々に憶えていてほしいのだ」と。

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 1968.2.3 二人は生涯初めての口づけをします。読むのが(書くのも)気恥ずかしいかもしれませんが…。
 「人間だと思った。あたたかくやわらかく湿っていて 歯と歯が触れあって 舌が濡れていて つくづく人間だと思う。それが情けなかった。惨めだと思った。あなたが憎い。あなたを一生憎む」
 「口づけはもっと美しいものだと思っていた。花びらに触れるみたいに冷んやりしていて すべすべしているものだと思っていた。くやしかった」。
 そう言いつつその日から「たくさんの昼と夜を抱きあって過ごした」「人のいない所を探してはもぐりこんだ」。彼「子どもは産める?」。彼女「あなたの好きなだけ何人でも生んであげる」。

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 日記は 日記だからこそ過激にならずにはいません。
 「Nという人。私のすべてをがんじがらめにした人。でも待ってくれる人はひとりで良かった」。
 永田については「苦しくて息ができないほど首を吸われる。私を強い力でもぎとろうとする。私を犯そうとする時、この人はなぜこんなに美しく曇りない眼と唇をもっているのだろう」。

 1970.2.15 永田和宏は京大大学院(理学部)に不合格。その時期、河野裕子に請われ彼女の両親に結婚の意思を伝えます。様々なことが混乱していたのか 彼は睡眠薬で自死をはかります。一命はとりとめますが、彼女には何も言いません。彼は大学に留年し、彼女は出身地の中学教員になります。

        今日、私は あのひとと結ばれた… 若葉の枝をさしかわす雑木林の枯れ葉の上(河野裕子)
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 日記に「来ないの。生理が来ないの」。「現実とはどうしても思えなかった」彼には 手紙を書きます。
 「あなたも あなたの父も おそらく生んでほしくないと言うだろうと思います。でもそれでは 子どもが余りにかわいそうです。私が 不憫だと思ってやらなければ 誰がこの子をかわいそうだと思ってくれるでしょう」「私にはわかるのです。私のからだのなかで大きくなりかけているこの子に 未来永劫に けして抗うことができず 抱くこともできないだろうということが、わかるのです」。

 「私が逝かせてしまった者。私が逝かせてしまった。私がそうしたのだ。他の誰でもない。一生、一日として忘れはしない」「あの短い夏の初めの日々。私の宿したものは生ではなかったのだ。それは死でしかなかった」「死は私のからだの中で眠っていた。安らかで愛おしい哀しみだったのだ」。

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 「河野裕子」を私は「コウノユウコ」と呼んでいました。TVで「カワノユウコ」と語られることに違和感を覚えるほど私の中では「コウノユウコ」でした。彼女の歌の師 宮柊二もまた「コウノユウコ」と呼び、彼女は『カワノユウコと呼んでほしいのは十年来のささやかな願い』と記しています。

 "N" も河野裕子と同じ宮柊二の門弟ですから、Nも「コウノユウコ」と呼んでいたような気がします。それが永田和宏と河野裕子に対する Nの "ささやかな抗い" であったような気がしてなりません。そして 敢えて言えば この書と番組こそ 永田和宏の "ささやかな抗い" であったのだと思います。

    
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二人が歌いながら踊った「さよならはダンスの後に」… 鼻メガネの倍賞千恵子さんが素敵です。

【補遺】
 この番組にも その原作にも 内容にも "公開" することに対しても 様々なご意見がおありかと思います。
 論理的に認めがたい、日記の公開への違和感あるいは生理的嫌悪、そもそも短歌に無関心…各人各様かもしれません。
 前回ブログのコメ欄最後に 沙羅さんのコメントがあります。敢えて返信を控え "一つの見解" としてお読み頂きたく存じます。
 コメントはなさそう…。コメントはない!も一つのコメントかな?  


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【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
人生の棚卸し(2) https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/22b3ffae8d0b390afee667c0e9ed92ed
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
名残の季節 https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ce82e1c580f64c8ab8d43e2c674a481d

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