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Channel: デ某の「ひょっこりポンポン山」
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行きしひと 去りしとき

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 「行きしひと」ではなく「逝きしひと」と記すべきかもしれません。でも切なくて そう記すことができません。二月、敬愛する先輩が旅立たれました。ミモザが彩りをましても風はなお冷たく、いつもより一日多い二月なのに 瞬く間に駆け足で去り行きました。


                             京都 由良川畔のミモザ

 今日 三月三日は 「風のフェリシア」さんが旅立たれた日。いつの間にか 一年が経っていました。昨年の二月、「少しずつ悪くなるのではなく どかん!どかん!とまるで崩れるように...」「ひとり朽ちるのはむずかしい」「壁をつたい 床をはっています」と...。

 昨年2/1の拙ブログ「去りゆく日 去り行く人」にコメントを寄せた彼女、栗本薫(中島梓)の最期について記した2/10のブログ「レクィエム…転移」に寄せたコメントが拙ブログへの彼女の最後のコメントとなりました。絶えだえの息遣いに…胸が騒ぎました。

 ※ 以下彼女のコメント…「〇ぬ」「惑星にが誕生しして」、「誕生してから」の途切れ!は原文のまま
  「〇ぬのは怖くない」と私も思う一人です。
   この青い惑星にが誕生ししてから、〇ぬことに失敗した人はいないので(^^)
   突然の変調ですが、この地球に生命が誕生してから


                          3/3 京都御所 閑院宮邸前にて

 今日 京都御所を散策した後、学生時代の友人との「研究会」に参りました。世相を論じ思いを論じ、ついでに学ぼうとする程度の会ですが、そこで論じられたテーマの一つが「反日の韓国と親日の台湾」。ふっと!台湾で亡くなった向田邦子さんを想いました。

 向田邦子さんは1981年夏、台湾にて航空機墜落事故により51年の生涯を閉じました。その旅立ちから間もなく40年ながら、そう遠い昔のことに思えないのは、今なお彼女の作品が放つ光ゆえでしょうか。それともその才と女優さんのような美しさゆえでしょうか。


                          文芸春秋1983.8臨時増刊より

 向田邦子さんと長く共に仕事したTVプロデューサー久世光彦著「触れもせで」。そこに描かれた向田邦子像には紛れもなく彼女への讃歌があり愛があり恋心が顕れています。向田さんの旅立ちから十年余を経て上梓されたレクィエムであり恋文でもありましょう。

 『無頓着なふりして無邪気に見せる狡くて可愛い人』『あの人の半分は 待っていた人。待っていたのは 何だったのか、誰だったのか...』『彼女には爪を噛む癖があった。爪を噛むのは良くないワ…という歌が好きで、酔うと小さな声で口ずさんでいた』『彼女はどこにでも居そうで どこにも居ない、そんな人だった』。

 こうした記述からも氏の心の裡は想像に難くありません。それがこの著のタイトルとなる「触れもせで」には更によく顕れています、少し我が心と重ねあわせつつ...。

 『彼女のアパートに泊まったことだって何度もある』『二十年の間 彼女の体のどこにも唯の一度も触ったことがない』『暖かい手だったのか冷たかったのか、柔らかだったのか骨ばっていたのか、私は知らない』『熱い肌を幾度合わせても何もわからない人もいる。指一本触れもせず十年たってしきりと恋しい人もいる』。



  高田恭子さん「みんな夢の中」をUPしていたのですが
       やっぱり「爪」がいいかなぁ....もうよしなさい悪い癖/爪を噛むのは良くないわ....




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