【千光寺より眺める尾道の朝の光景】
漸くかなった亡き友の墓参の旅へ
今月5~7日、学生時代の友人8人とともに亡き友の七回忌の墓参を兼ねて、彼の眠る郷里柳井(山口)を訪ね、そして岩国・尾道(広島)を旅しました。この七年、いつも心から離れることのなかった彼の旅立ちでしたが・・・様々な思いをいだきつつ我々には漸く一つの区切りとなりました。
新大阪から新幹線で広島まで行き、更に山陽本線を柳井駅へ。集合時刻(午後2時)の1時間前に着きました。寒風に襟を立て食事のできるところを探しながら駅前の大通りを歩いていると、串カツの暖簾を分けて「よおっ~!」の声・・・。私より更に半時間ほど早く来ていた三人でした。
腎がんの手術後ベジタリアンになった私ですが、こういう時はお肉解禁です。久しぶりのカツ定食は殊のほか美味でした。食事を終え駅に向かうと、午後は概ね1時間に2本しかありませんから、各々の経路から結局は一つの電車に吸い寄せられ?残り5人が一緒に改札を出てきました。
亡き友が生まれ育ち働き逝った柳井のまち
駅からお墓のある誓光寺まで歩いて十数分、柳井はゴミ一つない道と白壁が印象的な美しい街でした(下左)。ここで生まれここで育ち、卒業後暫く勤めた後ここに帰って家業を継ぎ、そしてここで亡くなったのか・・・そんな感慨とともに散策しました。お寺では彼の奥さんと娘さんが迎えて下さいました。
お寺には、たぶん数百の墓石。その中の一つ(下中)に・・・花を手向け強風に身体を寄せあって線香に火をつけおまいりしました。七年・・・漸く来た。遅くなってすまんかった。かんにんしてくれ。心にそう呟いて手を合わせると、涙がどっとあふれました。最後にみんなで大学歌を合唱し墓前に捧げました。
本堂(下右)でお経を唱えた後、彼の家に向かいました。病(胆管がん)の経緯、余命半年と告げられてからの日々について、奥さんから詳しく話していただきました。お嬢さんの結婚式の写真集には学生時代そのままの彼の笑顔がありましたが、その1か月後、彼は旅立ちました。
岩国 ・・・・ それぞれの近況を語り合った夜
彼の家を後に岩国に向かいました。岩国に着くと既にあたりは暗く、タクシーに分乗して錦帯橋近くのホテルへ。お酒は9人で僅かビール3本・・・7年越しの重い荷が降りた虚脱感でしょうか、ややしんみりした宴会となりました。それでも11時頃までそれぞれの近況を語り合う夜ではありました。
翌朝、ホテルから徒歩数分で錦帯橋へ(下左)。私には四十数年ぶりの錦帯橋、通行料300円也にはちょっと驚きました。その後、岩国美術館へ。萩焼の坂高麗左衛門(初代~13代)の名品ほか戦国時代の刀剣、甲冑などが展示されていました。掘り出し物に巡り遭ったような幸せなひとときでした。
お昼は、すぐ近くの菜食レストラン「わたぼうし」へ(下右)。評判!だそうで、長い順番待ちとなりました。メニューは菜食ランチ一品のみ・・・順番待ちとなるのが頷ける美味しいランチをいただきました。スタッフも感じの良いお嬢さんばかり・・・近くであればしばしば訪ねたいレストランでした。
尾道 ・・・・ 山上ホテルから素晴らしい眺望
おトシの所為では断固!ありませんが、みなさんややお疲れの様子・・・。墓参以外はとりたててスケジュールのない気儘な旅ですから、お昼の後は即!尾道に向かうことにしました。三原までの新幹線「こだま」で初めて最前列の自由席に乗り、子どもが最前列!に乗りたいワケ・・・がわかりました。
尾道のホテルは山の上にあります。車が際どくすれ違う細い道をタクシーで上りました。既に夕刻ながら、尾道の港の絶景が見下ろせました。宴会では卒業旅行の時の「テープ(録音)」を聴き、お互いの若い声に戸惑いながら聴き入りました。そして宴会後はかつてのように議論、議論・・・。
千光寺 文学の小径 石仏 急な坂道
翌朝、早起きしてホテルをたち山上から急な坂道を下りながら千光寺、文学の小径を巡りました。日曜日の所為か観光客は若い人が目立ちました。一つ一つはご紹介しませんが、千光寺の三重塔(下左)、巨岩の隙間の小さな石仏(下中)、膝を苛める急坂(下右)のご紹介にとどめます。
尾道の猫たち 風邪などひきませんように!
そしてまるでトルコにいるように方々で猫を見かけました。近寄ってもピクリともしない猫、幸せな眠り猫、ライオンのようにあたりを睥睨(へいげい)する堂々たる猫など十数匹の猫たちに出遭いました。寒い一日、これからもっと寒くなると思うと・・・ちょっと可哀想な猫たちでした。
病む我に妻が屠蘇酒をもてくれば・・・
『一里聞こえて二里ひびく』千光寺の鐘は、残念ながら聞けませんでした。小径の至る処に石碑があり『病む我に妻が屠蘇酒をもて来ればたまゆら嬉し新年にして(中村憲吉)』、病んで臥せる身にもそこはかとない歓びが光ります。平山郁夫画伯の生地にふさわしい「道案内」も印象的でした。
命は連綿とつづき それでもいずれ尽きるもの
小さな小さなまことに小さな旅を終え、充実感と虚脱感がないまぜになっています。四十数年前には想像だにしなかった現在の我が身と我々の姿ながら、わずか四年間の繋がりが切れることなく連綿とつづき、それでも命は一つずつ確実にいずれ尽きるもの・・・。改めてそう思う旅ではありました。
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