十八で郷里を出て半世紀たちました。郷里を出るときも郷里を出てからも、いつか郷里に帰りそこで暮らしたいと思ったことはただの一度もありません。郷里が憎いからでも厭だからでもなく、そして珠玉の思い出がいっぱいにつまった郷里ではあっても・・・。
郷里の海を見るのが好きでした。山を見るのはもっと好きでした。満天の夜空の星は文字どおり銀河!でした。高度経済成長真っ只中の都会にはない空でした。かび臭も塩素臭もない水道水をごくごく飲んでいました。それは今も殆ど変りはないと思います。
朝日に映えて聳え立つ紫深き大山を日毎に仰ぎ励みつつ若き学徒の集う園(母校の校歌より)
加山雄三「夜空の星」。ラジオから流れる歌を聴きながら「都会の子はほんとうの夜空の星を知らんだろうなぁ」と思っていました。如何にも都会育ちでコンプレックスを煽られる加山雄三より、詰襟を着て律儀に歌う舟木一夫の歌謡曲がよほど好きでした。
高校時代、ベンチャーズのテケテケがはやり幾つものロックバンドがありました。文化祭ともなると、どのバンドも「ブルドッグ」「パイプライン」などを競って演奏する中、「キエン・セラ」「鈴懸の径」などを演奏するエレキバンドもあり多彩でした。
郷里は境港市。漁港ですが、時々ラワン材を積んだロシア船が入港しました。ロシア船には女性船員もいて、真冬でも港から遠く離れた砂浜でビキニで日光浴をしていました。白磁器のような肌が眩しく、ハラショー! スパシーボ! の二語で交流しました。
「弓が浜」にふさわしい青松白砂の向うに出雲半島。弓が浜と出雲半島の間の海峡が境港。
対岸の出雲半島山上に極東をカヴァーするレーダー基地があり、私の高校時代は米軍管理下にありました。ESSで訪ねた基地内のロビーにはスロットマシンが置かれ、コーラを自由に(タダで)飲めました。当時の日本社会には存在しない遊具、飲料でした。
山上にある白い建物が森山レーダー基地。現在は自衛隊と米軍の共同管理下にあると思います。
郷里の方言を「浜弁」と言います。鳥取県の東部は旧因幡藩、優しく穏やかな言葉です。西部は旧伯耆藩、米子は商人風の角(カド)のない言葉ですが、境港は荒っぽい漁師言葉です。卒業時、その浜弁を「都会に出ても忘れまい」と同期で誓い合いました。
浜弁。たとえば高校生の会話。『あんた、ウチのこと好いちょう?』『いや、別に・・・』『かくしたらいけんけんね』『別にかくしちょらん』『好いちょうなら好いちょうって言うだがや』『まあ、少しは好いちょう』『ウチはいっぱい好いちょうけんね』。
浜を埋立てた先にヨットハーバーが造られ、様々な大会が催されます。後方の山並は中国山脈。
郷里で暮らした年月の三倍近くを関西で過ごしていますから、浜弁は忘れていませんし聞く分には問題ありませんが、喋るのには抵抗があります。どちらがネイティブか?と問われれば、どうにも難しく答えられません。二重国籍のような感じでしょうか・・・。
弓が浜の真ん中あたりは田畑が広がり、ラッキョウやネギが特産です(絵は亡き叔父の作品)
郷里を出るときの「帰ろうとは思わない」には青雲の志もあったかもしれません。しかし長く関西で暮し、二重国籍のような或いは浮草のような感覚の所為でしょうか、もうたくさん!といった少しやさぐれた感覚もあります。わかりづらいでしょうが・・・。
郷里で父の三回忌をしました。お坊さんは『三回忌を以てほんとうに喪があける』と。父は、喪が明けなくても明けても「ワシに構わず自由にしていいよ」と優しく言ってくれているように思います。しかし健在!の母は容易に自由にはさせない風情です(笑)
ふるさとの野山で初めて芽生えた あどけない二人の 小さな愛 空よ 教えてほしいの・・・
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【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
郷里の海を見るのが好きでした。山を見るのはもっと好きでした。満天の夜空の星は文字どおり銀河!でした。高度経済成長真っ只中の都会にはない空でした。かび臭も塩素臭もない水道水をごくごく飲んでいました。それは今も殆ど変りはないと思います。
朝日に映えて聳え立つ紫深き大山を日毎に仰ぎ励みつつ若き学徒の集う園(母校の校歌より)
加山雄三「夜空の星」。ラジオから流れる歌を聴きながら「都会の子はほんとうの夜空の星を知らんだろうなぁ」と思っていました。如何にも都会育ちでコンプレックスを煽られる加山雄三より、詰襟を着て律儀に歌う舟木一夫の歌謡曲がよほど好きでした。
高校時代、ベンチャーズのテケテケがはやり幾つものロックバンドがありました。文化祭ともなると、どのバンドも「ブルドッグ」「パイプライン」などを競って演奏する中、「キエン・セラ」「鈴懸の径」などを演奏するエレキバンドもあり多彩でした。
郷里は境港市。漁港ですが、時々ラワン材を積んだロシア船が入港しました。ロシア船には女性船員もいて、真冬でも港から遠く離れた砂浜でビキニで日光浴をしていました。白磁器のような肌が眩しく、ハラショー! スパシーボ! の二語で交流しました。
「弓が浜」にふさわしい青松白砂の向うに出雲半島。弓が浜と出雲半島の間の海峡が境港。
対岸の出雲半島山上に極東をカヴァーするレーダー基地があり、私の高校時代は米軍管理下にありました。ESSで訪ねた基地内のロビーにはスロットマシンが置かれ、コーラを自由に(タダで)飲めました。当時の日本社会には存在しない遊具、飲料でした。
山上にある白い建物が森山レーダー基地。現在は自衛隊と米軍の共同管理下にあると思います。
郷里の方言を「浜弁」と言います。鳥取県の東部は旧因幡藩、優しく穏やかな言葉です。西部は旧伯耆藩、米子は商人風の角(カド)のない言葉ですが、境港は荒っぽい漁師言葉です。卒業時、その浜弁を「都会に出ても忘れまい」と同期で誓い合いました。
浜弁。たとえば高校生の会話。『あんた、ウチのこと好いちょう?』『いや、別に・・・』『かくしたらいけんけんね』『別にかくしちょらん』『好いちょうなら好いちょうって言うだがや』『まあ、少しは好いちょう』『ウチはいっぱい好いちょうけんね』。
浜を埋立てた先にヨットハーバーが造られ、様々な大会が催されます。後方の山並は中国山脈。
郷里で暮らした年月の三倍近くを関西で過ごしていますから、浜弁は忘れていませんし聞く分には問題ありませんが、喋るのには抵抗があります。どちらがネイティブか?と問われれば、どうにも難しく答えられません。二重国籍のような感じでしょうか・・・。
弓が浜の真ん中あたりは田畑が広がり、ラッキョウやネギが特産です(絵は亡き叔父の作品)
郷里を出るときの「帰ろうとは思わない」には青雲の志もあったかもしれません。しかし長く関西で暮し、二重国籍のような或いは浮草のような感覚の所為でしょうか、もうたくさん!といった少しやさぐれた感覚もあります。わかりづらいでしょうが・・・。
郷里で父の三回忌をしました。お坊さんは『三回忌を以てほんとうに喪があける』と。父は、喪が明けなくても明けても「ワシに構わず自由にしていいよ」と優しく言ってくれているように思います。しかし健在!の母は容易に自由にはさせない風情です(笑)
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