主人の帰省に同行
久しぶりに主人の帰省に同行することになった。連休に入れば道路が混むので、それまでに「務めを果たしておきたい」らしい。吾輩にすればいぃ迷惑なのだが、細君も同行するからには、吾輩一匹行かないわけにはいかない。まぁ、ペットホテルに閉じ込められるくらいならまだマシ!ではある。
さて、その主人の郷里は鳥取県(境港)。と言っても、大抵の人は鳥取県と島根県の位置関係さえわかっていない。主人も、勤め始めて盆暮れに帰省する際、「島根やったな。気ぃつけて帰りや」となんべん言われたか知らん!と・・・。まぁ山陰の小さな2県の位置なんて、どうでもいいこと・・・なのだ。
戦利品(その1)・・・チョコとガム
昭和20年代~30年代の郷里には、もはや死語となったが、「進駐軍」が健在?だった。市内に自衛隊と同居する空軍基地、海峡の向かいの出雲半島の小高い山に米軍レーダー基地があった。当時まだ珍しかった自動ドア付の米軍専用バスが、米兵はじめ基地関係者を乗せて県道を走っていた。
主人が小さかった頃、家の前に米兵一家が住んでいた。たぶん主人がみた最初の外国人であろう。奥さんはいつもイライラ、ヒステリックに喚いていた。その所為か日本人のメイドさんも「ハバ!ハバ!(早く)」が口癖だった。その家の「ウェンリー」はじめ、近所には数人の進駐軍の子がいた。
進駐軍の子と日本人の子はよく西部劇ごっこをして遊んだ。日本の子はインディアン役、進駐軍の子は騎兵隊やカウボーイ役と決まっていた。殺される側の日本人の子が、殺される代償に貰ったチョコやチューインガムは言わば負け戦の戦利品・・・ほろ苦く限りなく甘い戦利品だった。
幼き頃とは言え数年前の吾輩 吾輩が恋い焦がれる乙女 家族仲良く All painted by QP
戦利品(その2)・・・ハンバーグ、コーラ、スロットメタル、白い肌
やがて飛行場は自衛隊に移管され、進駐軍の姿は町から消えた。しかし山の上のレーダー基地は主人の高校時代もまだ米軍管轄下にあった。英会話の練習?で基地を訪ねると、戦利品はもはやチョコではなくこってりのハンバーグ、クスリくさいコーラ、時にスロットマシンのメタルに変っていた。
境港には材木を運ぶロシア船も多い。「英語を話せる船員と英会話する」はあくまで建前、ロシア船には女性も多く磁器のような白い肌に魅せられ!が真相だろう。また彼女達は真冬でも浜辺に出てはビキニで日光浴を楽しむ。その光景は、松林から盗み見る男子高校生の「目の戦利品」となった。
戦利品(その3)・・・機雷、密入国者、埋立地
浜辺には時に機雷が漂着し、地引網に引っかかることも・・・。また密入国者が上陸したと大騒ぎになったり、「拉致問題」ではこの近くから船で連れ去られた人も・・・と囁かれている。機雷だの密入国だの拉致だのは戦利品とは言えまい。が・・・「戦争」に端を発していることだけは間違いない。
浜辺は三十数年前に広く埋立てられた。主人の父親は「埋立反対」で市議会の座り込みにも行った由。が、「本日は流会」となり解散した深夜、議会が再召集され「埋立」を議決した。そこに企業を誘致!の思惑は外れ、広大な荒地が広がっている。この埋立地、果たして誰の戦利品なのだろう・・・。
昭和50年代の弓が浜と日本海 埋め立てられた弓が浜(後方:出雲半島)