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Channel: デ某の「ひょっこりポンポン山」
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かんわきゅうだい 46 「遠藤周作 没後20年」

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              戦後間もない1950年~2年半、遠藤周作が留学したリヨンの街。

 狐狸庵… コリアン! 韓国人?
 遠藤周作が亡くなって20年。私には「狐狸庵」シリーズが最初の出会いでした。最近、「遠藤周作って韓国人?」との疑問?に、「時代は変わる(ボブ・ディラン)」けど、変わり過ぎ!と…。尤も、私自身ネスカフェのCM「ちがいがわかる男のゴールドブレンド」で澄ましている彼を「タレント作家」程度に思っていましたから、「イエスの生涯」を読んで印象が一変! まるで別人の遠藤周作がそこにいました。

 半世紀近く前の日曜礼拝にて
 学生時代、下宿の近くに教会がありました。なぜか惹かれて日曜礼拝に行きました。信者さんたちの真摯な祈りに、心をうたれました。今でも憶えている牧師さんの説教の主題は「神様はなぜ姿をお見せにならないのか」。馬が鼻先のニンジンを求めて走ることを信仰に喩え、ニンジンを食べてしまえば(神の姿が見えてしまえば)馬は走るのをやめる(人の信仰もとどまる)と。釈然としないまま教会を出ました。

 イエスの唯一の奇蹟
 遠藤周作「イエスの生涯」は、その問いに向き合う書でした。「奇蹟など起こせない普通の人」であるイエスと、弱虫でぐうたらな弟子たち。イエスは十字架にかけられ葬られた後、忽然と消え...有名な「復活」に至ります。その時から弟子たちは殉教を怖れぬ神の使徒に生まれ変わります。人々は奇蹟による神たる証しをイエスに求めていましたが、復活!と弟子たちの一変がイエスの起こした唯一の奇蹟でした。

 異論はありましょうが…
 弱虫だった弟子達が一変!したのはイエスの「復活」にリアルに接したからではないか? イエスの唯一の奇蹟に接し「神の使い」に生まれ変わったのではないか? そうでなければ一夜にして弟子たちがイエスの教えを説く強靭な使徒に生まれ変わったことを説明できない。大雑把ながらそれが遠藤周作の推論でした。私自身は今なお信仰!に至りませんし異論もありましょうが、「イエスの生涯」をご一読下さい。
 
 
              灘中時代の遠藤周作((上左)と 渡仏時(27歳)のバスポート

  フランス留学へ
 彼は、あの!灘中に入ったものの旧制高校はつぎつぎ不合格となり、二浪して慶応の予科~仏文科に進学します。言わば劣等生でしたが、卒業後カトリック雑誌の編集に携わりカトリック文学を究めようとフランスに渡航します。船倉で雑魚寝するような2か月の航海中、停泊する港から乗船してくるアジアの人々との交流を通じ、日本はアジアでなぜあんな酷いことをしたのかと改めて侵略戦争への疑問を抱きます。

 ルーアンの丘からリヨンへ
 暫くはルーアンのロビンヌ家に下宿、フランス語と生活習慣を夫人に徹底的に鍛えられた後、リヨン大学で2年半、学問に没頭します。そうした日々を綴った日記が、後に「ルーアンの丘」として上梓され、そこにはロビンヌ家の人々とのこころ深い触れあいのほか、神父になることを真剣に考える姿、リヨン大学の寮生活では人種差別と劣等感に苛まれる様子、また恋人フランソワーズとの出会いと永久の別れも。 

 
         (上)ルーアンのロビンヌ家。滞仏中、最初で最大の仕合わせな時間でした。

 黄色人種がトイレを使うと...
 私だけかどうか...欧州を1週間ほど旅している間、白色人種の人々の東洋人に対する「どこか見下ろした眼差し」を感じました。かつて日本が起こした戦争の心理的背景にもそうした眼差しがあったのではないかとさえ思います。遠藤周作が寮のトイレで用を足している時、白人の学生の「黄色人種がトイレを使うと便器が黄色くなる」との会話を耳にし深い劣等感に苛まれる様子は、感覚としてよくわかります。

 ピーター・フランクルと遠藤周作
 数学者で大道芸人のピーター・フランクルさんは世界を転々としてきたユダヤ人です。その彼が日本に定住している理由は『日本(人)にはユダヤ人差別がない』からだと語っていました。差別は態度や眼差しには顕れても言葉としてはそう顕れません。それだけに厄介でべっとり滲みついた「心の文化」です。戦後間もない時期に、敗戦国の黄色人種として渡仏した遠藤周作の心の闇を垣間見、息苦しさを覚えました。

 
      (上左)大家族のロビンヌ家の人々と。(右)カトリック文学を学んだリヨンの街。

 別れの時に...
 フランスを発つ日が近づいた或る日、遠藤周作は恋人フランソワーズと夕食をともにします。周作『もしも僕がフランス人だったら君に求婚する。でも僕は日本人だから...』。フランソワ『それは残念だわ。私は一生、老嬢として暮らすわ』。地中海の光が降り注ぐ浜辺を二人が歩いている時、『突然、僕の心にはいっぱいの悲しみが胸を満たした』。理由があるようなないような、理不尽なほどに悲しい別れでした。

 遠藤周作の残した「渡仏日記」の最後のページ
 『窓の外が黎明の白い光に射され、海風にカーテンが揺れるまで、我々は時々眠った。月光に照らされたお前の寝顔は余りに清潔で純粋だった。そのお前を起こさぬよう僕は明け方の窓に凭れ、覚め始めた大都会の入口をじっと眺めていた。今日の午后、僕はお前と別れフランスを去る。長かったこの二年半の滞仏の日々よ、しかし昨夜、最後の夜すらもお前に触れなかった自分に満足しながら...』
 
 
    (上)「渡仏日記」。尊敬する或る方の字体に似ていてビックリしました。
        伏せられていた最後の半年間を読んだ順子夫人は「幸福そうな表情」だった由。

 むすびに...書き急ぐように...
 遠藤周作「イエスの生涯」「ルーアンの丘」(下左中)「遠藤周作で読む十二人の弟子」のほか、文藝春秋別冊「フランス留学時代の恋人フランソワーズへの手紙」「総特集:遠藤周作」を参考とし、写真は没後10年に放映された「遠藤周作:フランスの青春」より。但し最後の一枚はなぜかシマです。今、些事に心いたみ父の容体に気を病みコメント欄も閉じたり開いたりしつつ書き急ぐように書いています。

 

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